安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・
2013年10月31日木曜日
地名:大阪
角川日本地名大事典にありました。・・・大坂とも書いた。本来の地は上町台地北端に位置し、この地に石山本願寺、次いで秀吉の大坂城が築かれ、寺内町および城下町が形成された。本願寺建立前は小坂(おさか)と称し、後には尾坂とも記した。明応5年の連如上人御文に大坂が見えるそうです。おさか→おーさか→大坂かもしれません。江戸時代終わりから明治にかけて大阪になったようです。小西ですが尾西という名字もあります。こにし→おにし→おーにし→大西かもしれません。小を「こ」ではなく「お」と読むことで小→大に変化したのではと思います。「お」の長音化はこの時代からの変化であろうと想像しますが、単に「小」→「大」かもしれません。
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