2013年10月2日水曜日

名字:小泉、和泉、泉

小泉も小林、小池と相関の高い名字です。小泉と小林:0.60、小泉と小池:0.54です。小泉もある程度かたまって分布を示していますが、泉か和泉のどちらかも広がっていて、小池と同じくどの地方からと断定できません。和泉と泉ですが、相関係数の高い名字を見ていると和泉の方が源氏の系統の名字を感じさせますが、泉はそれほどではなく、あとの時代のようです。しかも泉の相関では1文字の名字が多いです(泉:6名字、和泉:3名字)。名字は1文字から2文字になったと思っていましたが、そうとは言えないようです。泉→和泉ではなく、和泉→泉の変化の方が自然に感じます。

追記:10月3日
イズミも文字数1→2→1となったのかもしれません。
諸国郡郷名著好字令というのがあるようです。ネットでありました。
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諸国郡郷名著好字令とは、全国の地名を漢字2文字で書きましょうという命令である。好字二字令、または単に好字令とも呼ばれる。時は元明天皇の御世、和銅6年(713年)5月に発せられた勅令である。
それまで旧国名、郡名や、郷名(郷は現在で言うと町村ほどの大きさ)の表記の多くは、大和言葉に漢字を当てたもので、漢字の当て方も一定しないということが多かった。そこで地名の表記を統一しようということで発せられたのが好字二字令である。
さらに、漢字を当てる際にはできるだけ好字(良い意味の字。佳字ともいう)を用いることになった。適用範囲は郡郷だけではなく、小地名や山川湖沼にも及んだとされる。
好字二字令では、3文字の地名はともかくとして1字の地名も無理やり2字になった。これは利便性の向上もさることながら、当時日本から見ると先進国であった唐(中国)にならうという意味があった。中国の地名の多くは「洛陽」や「長安」など良い意味の2字の名称が用いられていたからである。
なお、旧国名については好字二字令より以前に2字に統一しようという動きがあったようである。
中には漢字の当て方に明らかに無理のあるものもあって読みづらいものも散見される。当てた漢字の音に引きずられて読みが変わった例も多い。(例:車(くるま)→群馬(ぐんま)など)
生まれた地名
旧国名
倭→大倭(大和)(現奈良県)
下毛野→下野(現栃木県)
上毛野→上野(現群馬県)
泉→和泉(現大阪府南西部)
無邪志、胸刺、牟射志など→武蔵(現埼玉県、東京都、神奈川県東部)
津→摂津(現大阪府北中部、兵庫県南東部)
近淡海→近江(現滋賀県)
遠淡海→遠江(現静岡県西部)
針間→播磨(現兵庫県南西部)
沖→隠岐(現島根県隠岐諸島)
三野→美濃(現岐阜県南部)
木→紀伊(現和歌山県)
火→肥前、肥後(肥前は現佐賀県、長崎県。肥後は熊本県)
多遅麻など→但馬(現兵庫県北部)
粟→阿波(現徳島県)
など
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名字も地名に依存しているものは同様なのだと思います。

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