歴史のことを知らないといけないと思い、「もういちど読む山川日本史」を借りてきました。
最初の方ですが、大和王権の話で、19ページに部民と屯倉についての解説があります。20ページに各地方に朝廷が土地を支配するために設けた屯倉と、豪族の土地である田荘があった。ということです。5世紀後半から6世紀前半(この本での記述で正しいかは私にはわかりません)、吉備、筑紫・武蔵で国造の反乱がおこったと伝えられる。・・・また筑紫と吉備に対して、朝廷は積極的に屯倉を新設する方針をとり、吉備へは中央から役人をつかわして戸籍をつくり、耕作民である田部を登録するなど、直接の支配を強化していった。とあります。
「本」グループの名字ですが、岡山県を中心に広がっているように思います。
参考:名字:岡本、山本、森本、西本、竹本
「本」グループの名字の分布を見て、戸籍を作るときに「本」の名字がこの地域を特徴付けるものとしてあったのかもしれないと想像します。このときの痕跡として残っているのかなと思います。当時の人は「本」から吉備出身を感じたのかもしれません。
「屯倉」では無いですが、三宅の分布を示します。岡山県に多いのも関係があるように思えます。筑紫ではそれほどではないので、実際は吉備に集中していたのかもしれません。
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