安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・
2013年9月17日火曜日
名字:松田、竹田
松田と竹田は関係ありそうです。相関係数0.58です。松田と竹田の分布図を示します。
名字が松のところの田んぼ、竹のところの田んぼということであれば、竹と松が同じような場所になければならないことになります。従って、実際の松や竹があるということでは無く、松竹(梅)というつながりの中で名字が拡散していったものと考えられます。最初は松田さんのまわりに松が、または竹田さんのまわりに竹があったかもしれませんが、そのうちに松と関係なく広がっていったのでは無いかと想像されます。あと松竹梅の順位が影響しているかもしれません。梅の相関が何となく低くいことも、梅のつく名字を嫌ってしまったのかもしれないという気がします。
以下は個人的な松・竹・梅のメモです。
松竹梅で相関がありそうですが、「安田仮説」本の相関の高い名字の表で見ています。
まず3枚目です。
松田との比較ですが、2番目に竹田、相関係数0.58、12番目に梅津、27番目に佐竹があります。
同じく竹内ですが、26番目に松井があります。
5枚目の武田ですが、竹田は相関30傑には無いですが、4番目に梅津があります。
その下の松井、松尾には30傑には残念ながら出てきていません。
6枚目の小松ですが、3番目に竹村、5番目に佐竹、7番目に武内、30番目に梅原があります。
7枚目の松岡ですが、11番目に竹本、27番目に武内があります。
8枚目、松下、松浦には30傑に出てきていません。
9枚目、松村ですが、16番目に梅田があります。
10枚目、松原は、21番目に竹本があります。松永にはありません。
12枚目、竹田は、19番目に武田がありますので、竹から武への置き換えが行われたと思います。
13枚目、武藤ですが、2番目に大竹があります。竹と武の関係があることを示しているようです。
14枚目、松崎は、15番目に竹下があります。
16枚目、村松、松山ですが、30傑に出てきていません。
17枚目、梅田では、8番目に竹原、26番目に竹中があります。大竹には武藤ぐらいです。
18枚目以下省略します。
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