安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・
2013年9月15日日曜日
「小」のつく名字
林→小林、を考えると、奈良時代から平安時代にいたる東方進出と重なります。ある程度の集団移住が行われた結果と思えます。そうすれば、山田→小山、(中川、西川、北川→小川かはわかりませんが)、・・などの小のつく名字は奈良時代から平安時代にかけて発生した名字であると想像してよいように思われます。素戔嗚尊の田を荒らす乱暴狼藉の神話があります。日本書紀の成立する前の時代です。誰がこんなことをするのだと思いますが、おそらく先住民に了解なく、武力で新田開発を押し通したため、ゲリラ的に妨害を受けた話が元になってるのではないかと想像しました。これから類推すれば、奈良時代から平安時代の関東地方進出にも、強引に行い、これが新たな武力集団、武士の発生をもたらしたんじゃないのかと妄想します。
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