藤井と河内は相関係数0.70です。藤井の藤は藤原氏から来ていると思いますが、井は何だろうと考えていました。大阪河内地方に藤井寺市があり、ここには葛井寺(ふじいでら)があります。葛井→藤井です。フジイの変化でした。藤原氏の影響で葛→藤が一般的になったのではないかと思います。源氏は藤原氏のあとの話なので矛盾はないようです。
河内源氏の広がりとともに藤井が広がった。これは河グループの河村、河本も同様であろうと思います。関東地方ではなく、西の地方なのが少し引っかかり、違うかもしれませんが。
安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・