唐突ですが、川原寺の伽藍配置です。 「川原寺 跡」を見ての想像になります。
伽藍配置の図がありますが、90度回転しました。以下です。
図 四天王寺と同じ軸線に合わせる
講堂とかの部分を無視すれば 塔、金堂、東大門がほぼ直線上にあります。ピンクの線を手書きしました。これを見て思うのは、前期難波宮と四天王寺の南北の位置関係です。この図の下に飛鳥川を越えて板葺宮があります。宮城と寺の関係は東西と南北で違いますが、軸線の関係は似ています。
遷都により他の寺は移っていったのに、川原寺はなぜ残ったかといわれますが、寺と宮城が一体のものであったと考えられたことがあったかもしれません。天武天皇と飛鳥浄御原宮・川原寺が一体のものであったので残ったのではと思われます。
ついでですが、川原寺の「寺」は仏教の寺ではないと思います。現時点では無理があると思いますが、ゾロアスター教の施設と考えていきたいと思います。
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