室生寺のサイトに
天武天皇の勅願により、修験道の祖である役(えん)の行者・小角(おづぬ)がこの地に初めて寺を建立したと伝えられています。奈良時代末に至り、後に桓武天皇となられた山部親王の延寿祈祷をきっかけに、興福寺の高僧・賢璟(けんけい)が勅命を受け、平安遷都まもなく弟子の修圓が堂塔伽藍を建立しました。後に空海の弟子で修圓とも親交の深い真泰が真言密教を携えて入山し、灌頂堂や御影堂等が整えられました。
とあります。国宝の木造五重塔には、水瓶があり、
日本の他の仏塔では、最上部の九輪の上に「水煙(すいえん)」という飾りが付くが、この塔では水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものがあり、その上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っている珍しい形式である。寺伝では、創建にかかわった僧侶修円がこの宝瓶に室生の竜神を封じ込めたとされる。(ウィキペディア、室生寺、五重塔)
ということです。高野山金剛峯寺にもあるそうですがよくわかりません。
弘法大師と修円(守敏)が祈雨の法力を競い、修円は天を降らせる諸龍を自分の水瓶に封じ込めて弘法大師の祈祷の邪魔をした。その時の水瓶が室生寺の五重塔に秘蔵されていりるという。(社寺縁起伝説辞典、室生寺の項)
ともあり、弘法大師の肖像画には水瓶が描かれるらしく、祈雨が重視された時代で、高野山とのつながりを感じさせるものかもしれません。
役の行者をイメージする石段を登っていくと奥の院があります。御影堂があり、弘法大師像を安置しています。
御影堂(大師堂、重要文化財) - 各地にある大師堂の中でも最古の堂の一つである。(ウィキペディア、室生寺)
御影堂の横に七重の石塔があります。『社寺縁起伝説辞典』、室生寺の項を見ると驚きます。
項大師の入定地は高野山の奥の院とされているが、室生寺には異伝もある。室生寺の御影堂の左に「ツクネ岩」があり、その岩上に七重の塔が建立されている。弘法大師が高野山で入定した時に弟子たちが大師の遺体を室生寺に運び、ツクネ岩に埋葬し、高野山の奥の院には代わりに弥勒菩薩が埋められているという。
この話はあまりにも馬鹿馬鹿しいと思われているのか、今は消え去っているようです。
御影堂の方ですが、室生寺のパンフレットには
方三間の単層宝形造りで、厚板段葺き、頂上に石造りの露盤が置かれている。他に例を見ない珍しい建物でる。
とあります。御影堂は鎌倉時代とパンフレットにあります。石造りの露盤がいつの時代にさかのぼるかわかってませんが、以前に滋賀県の花摘寺廃寺跡で見たことがあります。
花摘寺廃寺については以下。
新近江名所圖会第201回 草津市北西部に集中する古代寺院群 ―花摘寺廃寺・観音堂廃寺等―
御影堂のものも白鳳時代の痕跡のように思えます。古い時代の雰囲気を出すために、露盤に石造品を用いたのかもしれませんが、天武天皇以来の歴史を主張しているように感じます。
室生寺は雨乞いの地で、渓谷にあり、祈祷の効果が大きかったような気がします。天武天皇も祈祷に長けていたように思えます。室生寺は天武天皇の勅願というのも全くのデタラメではないということです。
近くの室生山上公園芸術の森があります。棚田や弘法の井戸とか残されています。モニュメントは太陽の道を視覚化しているとありました。太陽の道も意味があると考えていきたいと思います。
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