2022年5月19日木曜日

天照大神は天武天皇?

 天照大神は持統天皇と考えていて、その後の女帝の影響もあるだろうということでした。ところが、ネットで天照大神は元は男神だったというのを見ました。とすれば、持統天皇の前は天武天皇なので、天照大神は天武天皇だったということになってきます。『日本書紀』では持統天皇のイメージですが、元々は天武天皇であったのが、書き換えられたとなります。室生寺では天武天皇の勅願であったということです。室生寺だけで無く、伊勢路につながる室生寺の地域で、天武天皇の名前がよく出てくる気がします。偶然ではなく、何かしら、伊勢神宮と天武天皇を結びつけるものがあったかもしれません。昔、吉野は後醍醐天皇の南北朝の時代の拠点です。室生寺に、伝北畠親房墓とされる五輪塔らしきものがありました。近傍の地域を含めて、南朝復興を天武天皇の壬申の乱のイメージと結びつけようとする力が働いていたかもしれません。水分神社の上社と下社が男女神であるというのは自然ですが、伊勢神宮では内宮・外宮とも女神ということで不自然さは感じます。天照大神は天武天皇だった可能性はあるように思います。

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