アケメネス朝は、ウィキペディアでは、
古代オリエントのペルシアに存在した王朝・帝国・遊牧国家。アケメネス朝ペルシアまたは単にペルシア帝国とも呼ばれる。インド・ヨーロッパ語族の民族であるペルシア人が建設し、4王国(メディア、リュディア、新バビロニア、エジプト第26王朝)に分立していた古代オリエント世界を統一した。ダレイオス1世の時代には、エーゲ海沿岸からインダス川流域に及ぶ広大な世界帝国となったものの、紀元前330年にマケドニアのアレクサンドロス大王の遠征軍によって滅ぼされた。
文化のところに
- 楔形文字を表音文字化した古代ペルシア楔形文字を発明した。
- 公用語は古代ペルシア語と、帝国アラム語 (Imperial Aramaic) ないし公用アラム語 (Official Aramaic) と呼ばれる標準化されたアラム語だった。
- エラム語やアッカド語(バビロニア方言)の記録も残されている。
- ゾロアスター教、またはそれに近い宗教が王族達の間で信仰された。
とあります。
サーサーン朝(サーサーンちょう)は、イラン高原・メソポタミアなどを支配した王朝・帝国(226年 - 651年)。首都はクテシフォン(現在のイラク)。ササン朝ペルシアとも呼ばれる。
言語はアラム語のほかギリシア語も使われたが、王族から庶民に至るまで多くのペルシア人は、現代ペルシア語につながるパフラビー語を用いた。貨幣は銀貨を主とし、ほかに金貨、銅貨を鋳造し、皇帝の肖像の周りに刻んだ皇帝名は、パルティアのようにギリシア文字を用いず、パフラビー文字で記した。
ようです。ササン朝ペルシャは楔形文字ではなかったようです。シュメールに起源を持つ楔形文字が日本に伝わったとは思われません。
しかし、奈良の法隆寺に伝来した白檀二点の香木に、刻銘、焼印ともに漢字以外の文字があり、
現在では研究の結果、両者の意味は判明している。刻銘の文字はサーサン朝ペルシャ時代に使われた中期ペルシャ語のパフラヴィー文字あり、銘の内容は「ボーフトーイ」(bwtwdy)という人名であった。また焼印の文字はソグド文字のニーム(nym)とスィール(syr)であり、その意味は「二分の一シール(重さおよび貨幣の単位)」であった。ソグド文字はかつて中央アジアに住んでいたイラン系原住民ソグド人が用いた文字である。
と以下にあります。
2年ほど前に書いてました。もうろくしてます。 法隆寺献納宝物(ペルシャ)
刻銘の文字の読み方ですが、ボーフトーイという人名とする説に対し、 「白檀香」と読む説が以下にありました。そうかなと思います。
中期イラン語を読む人間の多くはイラン人であり、当時のイラ ン人は一部の仏教徒やマニ教徒やキリスト教徒を除けば多くがゾロアスター教徒だった。そしてゾロアスター教儀礼において白檀はよく用いられる香木だったのである。
法隆寺香木パフラヴィー文字刻銘再考 より
当時の日本に、ゾロアスター教の信者がいて、白檀を求めた可能性もあるということです。求めた人物は、天武天皇ではという妄想です。
9-10世紀のインド洋と航海ルートの図が下記にあります。ペルシャと日本とは遠いように思えますが、海からのルートを陸地に沿ってとれば、何とか来れそうな気がしてきます。
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