2022年4月6日水曜日

古韓尺について

 『データサイエンスが解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない』安本美典、朝日新聞出版 (2021/10/30) の中に、鉛同位体比分布についてで、 『理系の視点からみた「考古学」の論争点』新井宏、大和書房 (2007/8/1) が紹介されていました。話がずれますが、 第3章に「古墳の築造にはどんな尺度が使われたか」というところがあります。

新羅南山新城碑に現れた古韓尺

韓国の慶州にある南山新城に残った石碑三個に工事分担距離の記述が残されていて

第一碑 受作十一歩三尺八寸
第二碑 受作 七歩四尺
第三碑 受作廿一歩  一寸
いずれも受け持った工事区間の長さを示しているとして問題ないが、この「寸」まで示された距離から何かを感じることができるはずである。すぐ気付くのは、数字の有効桁数が大で、極めて厳格に距離が表記されていることである。・・・ もしこの不自然さが「他の単位系からの換算」できれいに示せれば、解釈が大きく前進する。すなわちメートル法が導入されても建築資材の標示は未だ九〇九ミリ、六〇六ミリなどと続いているように、数字の桁数が大きくともそれが換算であることを知れば合理的な解釈が得られるのと同じ事である。・・・

したがって、まずこの三碑の受作距離の整数比関係を当たってみる。その場合、時代から考えて「六尺一歩制」であったとすると各々の尺は次の通りである。
第一碑 十一×六+三+〇.八 = 六九・八尺
第二碑 七×六+四     = 四六・〇尺
第三碑 二十一×六+〇+〇.一 = 一二六・一尺

ここでこれらの寸法から比率が算出されます。が、この部分でわかりにくいです。それで、補正がどのように行われたか考えたのですが、尺の寸法はそれほど変化がなかったとすれば、新寸法は旧寸法に補正分を付け加えたとできそうです。第二碑で、七歩四尺とありますが、きりの良い七歩に対し、四尺が補正分と考えられます。
七歩(42尺) → 七歩四尺(46尺)
つまり 4/42 = 0.0952
1割弱の増加です。これから概算すると、
第一碑69.8/1.0952 = 66.3 尺 = 10.6 歩
第三碑126.1/1.0952 = 115.1 尺 = 19.2歩
計算は19.2歩ですが、きりの良い数値では19歩となります。19歩=114尺ですので、 126.1/114 = 1.106 となり 第一碑に適用すると、 69.8/1.106 = 63.1 尺 = 10.5 歩

元々は、十.五歩、七歩、十三歩であったと考えられます。 第二碑で確認すると、7×1.106 = 7.74 歩 = 7歩4.45尺 となり 何とか七歩四尺になります。これで、本に書いてある数値になりました。

だいぶに勉強しましたが、このあとに、「出雲風土記に現れた古韓尺」の話があります。異常に詳しい距離の表示があり、他の単位系から換算された可能性を強く示唆している。とのことです。

出雲風土記が編纂された天平期は、尺度の歴史でいえば唐大尺(時代により多少異なるが二十九・八センチ程度の実長)が導入され、完全に定着した時期にあたる。この唐大尺は、時代によりわずかずつ長くなる傾向にあったが、天平期ではおおよそ二十九・八センチ程度の実長であった。天平期の建物等に多く検出されることから、天平尺と呼称される。

さて、唐大尺が導入されてからというものは、大化改新を経て、土地制度が激変した時期であったが、慶雲三(七〇六)年の格と和銅六(七一三)年の格を経て、天平期にはこれらの混乱も治まりつつあった。長さの表示としては、天平尺の六尺を一歩、その三百歩を一里とし、面積の単位としては、方六十歩すなわち三千六百(平方)歩を一町とする制度が定着していた。したがって、出雲風土記がこの天平尺系の単位で記載されていることには疑問がない。 問題は、前代に行われていた制度との関わりがどうなっていたかである。結論をいそごう。それら異常に詳しい標示の距離は、表6のように整理されるのである。

ここで表6ですが、実はネットを探すと、1-A20の出雲風土記の距離記載と古韓尺の里の図です(炭素14年と古代尺度からみた古墳年代) 

にありました。

すなわち、天平尺による里歩の標示で異様に細かく標示されているものの多くが、一定の比率で簡単な整数里に換算できるのである。その換算比は0・八八一である。・・・

換算比なので0.881のかけ算です。現在なら電卓で簡単ですが、当時では考えられません。本当に計算できたか疑問に思いますが、「新羅南山新城碑に現れた古韓尺 」で悩んだおかげで、だいぶ想像がつくようになってきました。
0.881 = 37/42 としたのです。表6の下の方に、42里が37里000歩になっています。実際にやったかはわかりませんが、横軸に42,縦軸に37の点を取って原点と結べば、図式に換算ができます。また42里の時に5里引き算するので、里数に合わせて、5里から引き算の補正分を考えれば、まあまあ容易に換算値を算出することが想像できます。

出雲は新羅との関係が深いと見做されている地域である。その地域に古韓尺が存在していても何ら不思議ではない。むしろ、古韓尺の存在により、「原出雲風土記」説が補強され、新羅との関係が再認識されることに意味がある。これが歴史研究の醍醐味である。

白村江の戦いで、出雲はどういう立場にあったのかとか気になります。 この本の一部しか読んでませんが、度量衡が政治体制の根幹であることを理解しました。もう少しこの本がわかりやすければと思います。

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