2021年11月29日月曜日

古代の中国と倭国の往来のルート?

 鑑真の来日ですが、阿児奈波嶋(現在の沖縄本島)、益救嶋(屋久島)経由で大宰府に到着とのことです。 沖縄が日本とつながっていたということです。 「熊本県の古代」で曽畑式土器というのが出てきます。図を再引用します。 曽畑式土器の文化圏 

沖縄から朝鮮半島の南部までの範囲であれば、この土器の文化圏から、中国から到達すれば何とかなったということだと思います。縄文時代でも、中国からの航海は可能に思えてきます。

ウィキペディアの百済の仏教のところに

527年に造営された大通寺は、現在確認できる百済最古の本格的な伽藍を持つ寺院である。この寺は南から塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ、日本における四天王寺式伽藍配置と同様の伽藍配置を取る寺院であり[187]、南朝の梁の武帝のために聖王の時代に建立されたと伝えられている[185]。

とあります。百済は、南朝の梁と関係があったということです。つまり中国からのルートで、 行く先不明であっても、到着先が沖縄から九州西部、朝鮮半島南部であれば、縄文時代よりの同一の文化圏であり、到着まではリスクはあるものの、到着すれば何とかなったように思われます。中国からの直接ルートもあり得たという気がしてきます。

0 件のコメント:

コメントを投稿