2021年11月18日木曜日

相模国封戸租交易帳

 第73回正倉院展で展示があったものです。

内容についてですが、東京大学史料編纂所のページから活字化されたものを見ることができました。 史料編纂所が出版した『大日本古文書』(編年文書)全25冊の全文データベースのようです。リンクは以下。東京大学史料編纂所のページから

 中身は理解できていませんが、636ページに皇后宮食封があり、飛んで、舎人親王食封、藤原武智麻呂食封、山形女王食封、鈴鹿王食封、檜前女王食封、三島王食封、高田王食封、大宮寺食封とあります。天平7年(735年)の記録です。天平の前の神亀6年(729年)に長屋王の変がありました。

ウィキペディアでは

山形女王(やまかたじょおう/やまかたのおおきみ、生年不明 - 天平17年8月27日(745年10月5日))は奈良時代の皇族。位階は正三位。父は高市皇子[1]、母は不明。兄弟に 長屋王や鈴鹿王がいる。配偶者や子に関する情報はない。

鈴鹿王(すずかのおおきみ/ すずかおう、生年不詳 - 天平17年9月4日(745年10月3日))は、奈良時代の皇族。太政大臣・高市皇子の次男。官位は従二位・知太政官事。

檜前女王(ひのくまじょおう/ひのくま の おおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。名は檜隈とも記される[1]。後述するように高市皇子の娘という説がある。位階は従四位上。

三島王(みしまおう/みしまのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。天武天皇の孫。一品・舎人親王の第4皇子。淳仁天皇の兄[1]。官位は従四位下。

高田王は不明ですが、高市皇子と舎人親王に関係する人に食封が与えられているようです。長屋王の分もあったはずです。

相模国封戸租交易帳の最初の方の皇后宮ですが、図録では「皇后宮職」の解説があり、これは、

皇后宮関係の庶務を処理した令外官司。光明皇后の立后時に新設された皇后宮職は、写経事業や東大寺の経営で活躍した。・・・

とあります。光明皇后の家政機関(かせいきかん)みたいな物でしょう。この時代、家政機関は一般的なものであったような気がしてきました。『日本書紀』は、養老4年(720年)に完成したとされます。この時代のイメージを背景にして『日本書紀』ができています。古代の天皇の代替わりで遷都が行われていますが、記述するにあたって、代替わりで、家政機関が変わることの反映が遷都にあるように思えてきます。


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