2021年11月24日水曜日

朝鮮半島南部の前方後円形墳と仏教公伝

 仏教伝来ですが、古来から有力な説として552年と538年の2説あります。つまりこの話の前提が朝鮮半島より仏教が伝来したということになっています。はたして、朝鮮半島なのでよいのかと言う気がしています。ちがうことを考えないといけないように思われます。

タイトルのは、朝鮮半島南部の前方後円墳があるようです。前方後円墳も朝鮮半島から伝来し、日本で広まっていったとは考えられておらず、日本の形式が朝鮮半島に伝わったようなウィキペディアの記述です。

話が飛びますが、第2次大戦で日本が米国と戦争したのは無謀な戦いであったと言われます。なぜこんなことが起きたか、日本が人的・経済的な支援をした満州の権益が損なわれることに反発して戦争が起こったという話があります。アメリカからしたら、満州を日本が植民地にしたという認識であったかもしれません。この認識は間違ってるかもしれませんが、古代に当てはめることができるのではと思います。

六世紀から七世紀に、前方後円墳のことから、倭国も朝鮮半島南部に権益を持っていたように思われます(単に思ってるだけの話が続きます)。百済は日本の傀儡政権的なところがあり、それが、唐や新羅から侵害され、反発して無謀とされる白村江の戦い(天智2年8月(663年10月))などが、起こった可能性があります。朝鮮半島への倭国の進出も統一されたものでなく、家政機関的な連合的なものであったかもしれません。統率ある唐や新羅に敗れたということも想像されます。

『日本書紀』に任那の記事、例えば、継体天皇の時に、百済に任那を割譲したことがありますが、これなど、百済に日本の権益があったことを一生懸命、唐にアピールしているように思えてきます。

仏教公伝ですが、仏教のことを述べる風で、実際には百済との関係を強調するための記述の一つかもしれません。

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