図書館で借りてきました。
『「入れ墨」と漢字―古代中国の思想変貌と書―』松宮貴之、 雄山閣 (2021/8/31)
よく読んでないので、誤解してるかもしれません。 「はじめに」からの引用です。
アジア・ミクロネシアの中で中原を中心にして入れ墨が消えた要因の一つに、東アジアの文字(漢字)が、墨によって書されたことが挙げられる。
元々、記号か紋様のものを、人や物に入れた。
器とかのものに記した方は、陶器に入れた陶文→殷時代の饕餮文【とうてつもん】などの動物文→甲骨文字として発展していったのに対し、入れ墨は大きな変化はなく続いていったということで、文字が言葉を表すことができるようになり(書き直しとかで変化が速いと思われる)、入れ墨は記号・紋様にとどまった。「文字を使う人=入れ墨をしない人」と差が生まれていったということのようです。
正倉院展で経典の展示がありますが、写経などなぜこんなに必死にならないといけないのかと思います。これも、入れ墨に祭祀儀礼などの意味があって、同様に、奈良時代にもまだまだ文字に宗教性を感じていたということなのかということです。入れ墨と文字の分化の過程で、情報伝達の手段以上の意味があったようで、文字に対する感覚は現在とは違うということを忘れてはいけないと思いました。
以前に、近畿地方に入れ墨のある遺物がないという記事がありますが、律令体制が、この地から始まったことつながってくるように思いました。
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