正倉院展で、白瑠璃高坏を見て、ペルシアのものという話でした。 天平勝宝4年(752)の大仏開眼会(だいぶつかいげんえ)に奉納されたもので、当時から宝物と認識されたと思います。 『ペルシアのガラス(オリエント選書 (12))』深井 晋司、昭和58年10月、東京新聞出版局 を借りてきました。
終わりの方に随筆があります。多数のパルティア・ササン王朝時代の古墳群が発見され、ガラス器などが多数出土したイラン高原北部、カスピ海南岸のギラーン州の様子が書かれています。
カスピ海沿岸というのは米作地帯である。水田の間に穀物倉として、校倉造りの高床の小屋が点在する。直ちに正倉院と結びつけたくなる風景である。この辺までが、テヘランからジープで丸一日かかる。この水田地帯の背後にそそりたつ山に、馬で二日かかって登ると急に視界が開けて高原地帯に出る。この高原から瑠璃碗は出土するのである。
ペルシアから、ガラス器だけでなく、収納方法の校倉造りも伝わってきた気がします。
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