アフリカからホモサピエンスが世界に広がり、集団での移動でアジアのどこかにやってきたグループは、集団内で何らかのコミュニケーションができていたはずです。確定できませんが、多分、原始的な言語を使っていただろうと思います。トンパ文字の神話のところで日本語とナシ語が似ている例がありましたが、ナシ族の人が日本に来たとか、日本からナシ族に言葉を伝えたとは考えにくいものがあります。アジア地域に同一タイプの言語を持っていた時代があったと考えるのが自然です。それが膠着語といわれる言語の気がします。最初は使用される言葉も少なく、文化の発展により単語数が増えていったと思います。発音で言えば、少なくてもよかったと思いますが、間に合わなくなって、母音の数など増えていったと思います。言語によって母音の種類はいろいろ違って採用されていったと思います。同一の進化でないように思います。中国語で声調というのがあります。これは音の高低により意味を区別するものです。つまり歌うように話していた痕跡のように思われます。現代は文字文化の時代で歌うように話すことはありませんが、文字のなかった時代では歌っていたかもしれません。単語や母音・子音とかは違ってきますが、膠着語的な言語システムは変わっていないと考えます。これは話し言葉です。
さて文字ですが、甲骨文字を考えます。トンパ文字で「てにをは」はありませんでしたが、甲骨文字でもいろんな文字を作るのにエネルギーを使い、「てにをは」はなくてもなんとかなると考えられたと思います。小学生の時の漢字学習を思い出せば、学年ごとに少しずつ勉強しました。甲骨文字も同様で、文字を時間をかけて作られた気がします。読むときに、最初は「てにをは」を補っていたのが、省略されてよまれなく読まれなくなり、孤立語に変化していったと想像します。
日本語では、漢字を導入しましたが、中国語そのままではなく、膠着語という形式を残したということだと思います。
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