2021年8月18日水曜日

トンパ文字の神話

 トンパ文字の神話

象形文字としての神話でなく、内容を示した本を借りました。 『生きている象形文字』、西田龍雄、五月書房、2001年3月12日

この本では注記があり、モソ文字はトンパ文字のことで書き直していないとのことであったが、最初はどうなのだろうと思ってしまいました。モソ族→ナシ族です。 内容的には理解できていない部分が多いですが、それでも文字の生成過程とか参考になるところが多いです。

自分たちが日常話す言葉を文字に書きあらわすということは、一見何でもないようではあるが、実際は並大抵の仕事ではない。私は、その人たちの近くにしばらく生活していて、その難しさを痛切に感じた。彼らの周辺には、手近にタイ文字がありラオス文字がある。また中国人の間では漢字が使われ、今日ではローマ文字接近している。しかし、それらを借用して自分らの言葉に合ったように受け入れる能力を彼らはもたないのである。まして、自分らに固有の文字を作りだすことなどは、強い政治勢力を背景として傑出した人物が現れてこなければ、実現は難しい。(102-103ページ)

文字の発達は多くの場合、象形文字の段階を通過していくのは事実ではあるが、その段階を長く今日まで保持知るのは、かえってきわめてむつかしいことであった。モソ文字は、巫師(トンパ)という特定の階級の、物を象る特異な才能によって支えられ伝承されてきたが、モソ語自体が文字の使用を通じて整理されていなかったのも、この象形文字を今まで伝承させた理由の一つであると思う。(104ページ)

このあとに、『延寿経』のことがありますが、飛ばして モソ族創世記『洪水物語』の感想です。

もともとのタイトルは、<人類移動の由来>のような意味だそうです。

ナシ族の洪水物語は,「兄弟姉妹が通婚したために,天地を汚し神の怒りをかい,大洪水を引き起こしてしまう。人類はそのために死滅するが,兄弟の中でもっとも心がけのよい一人だけが,神の助けによって生き残り,天界との交渉に苦労を重ねた末,天女と夫婦になって人類の祖先になる」というあらすじである。

洪水物語は各地にありますが、天女と夫婦になって人類の祖先になるとうのが変わっています。周囲の勢力の影響を実際は受けているので、理想を求めて混雑的な血統を嫌っているように思われます。この本でも20ページぐらいあって長大な物語です。居住地の様子、焼き畑農業、狩猟や漁獲など行っていたことなど、モソ族の生活環境が反映されているようです。

そして、最後に「始祖伝説」が加えられて、この夫婦の子供たちがトンパの力で口がきけるようになり、チベット族、モソ族、民家族(白族)の祖先になるという形でこの物語が結ばれている。(141ページ)

周りの民族と友好的に大団円となり、すごく現実的な終わり方です。神話といっても、その当時の状況を考えた、きわめて政治的な物語に思えます。 この物語は、物語として残っているので、何度も繰り返しトンパによって語られ、多くの人が楽しんだエンタテインメントであったろうことから、日本の古事記も同じようなところがあるのかと思われてきます。

古事記から話がナシ語に戻りますが、検索とかしていて 以下の『古事記学 第1号』のpdfを見つけました。よく見てませんが、この中に、日本語・中国語・ナシ語の比較の文例がありました。(pdfの17-18ページ、印刷されているのでは86ー87ページ)、日本語とナシ語の単語訳を並べたものです(中国語は省略)。

(日本語文) あなたの家から大学に着くまで、どれくらい時間がかかりますか?

(ナシ語の順次訳) あなた の 家 から 大学 着く いくら 時間 かかる?

ナシ語の後半部分で、助詞部分がないですが、語順はまったく同じです。似てると思います。

短い文の例では 

(日本語)私は狼を射る。
(中国語)我射狼
(ナシ語)私 は 狼 を 射る

 ナシ語は日本語の意味にあわしていますが、助詞も含めて似ています。 ただし、これは話し言葉であって、ナシ族の人でも書記の場合は中国語になるようです。使い分けしているとのことです。日本語でも口語体と文語体とかあるので同じではないですが、ナシ語は極端な状態だとは思います。

古事記学 第1号 

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