の中に図があります。現代人のゲノム解析から生成されたものです。この図でどの時代まで遡れるかということですが、名字の分布図と似ているので、八世紀までは(律令制の確立とともに名字が生まれたと考えています)充分戻れると思われます。この時代では近畿地方は南は四国、北は北陸の方に交易圏か文化圏のようなものが広がっていて、瀬戸内海の方にはそれほどでもないように見えます。現代は内海は安全に航行できますが、古代で統一された国とかでなければ、海賊などで危険であったように想像されます。外海の方が邪魔のない分スムーズに移動できることが起因してように思います。邪馬台国の近畿説は無理がある気がします。
現時点では、やはり邪馬台国は九州にあったとします。さすれば、近畿地方はどうだったかということになります。邪馬台国と同様な別の国があった(ほかの地域にも)と考えるのが良さそうに思われます。
以下は、妄想の世界です。
邪馬台国は魏との関係がありました。当時は、蜀・魏・呉の三国志の時代です。邪馬台国と対立する国は、魏と対立していた呉と関係を求めたことが想像されます。蜀はちょっと遠そうなので除外します。
適当に呉の位置を入れました。一つは広島県の呉市です。「くれ」し なので呉の国と国と関係あると思っています。「ご」し でなく訓読みなので関係ないだろうとも思われますが、「はせ」を長く続く谷の地域から「長谷」と読む例があります。 長谷寺
この地域が、呉に関係していて、発音では「くれ」となっていたのでだとの推測です。全然わかりませんが、「くれ」の読みについて、以下に少しありました。
Re: 呉市の名前の由来を 教えてください - くれナビ なんでも質問箱
近畿地方にも入れて見ました。「呉」の瓦が発見されているので可能性は充分あります。 檜隈寺跡の「呉」と書かれた瓦
北陸の越は、図がさびしいので入れました。時代が違っていて問題ありそうで×をつけて表示しています。
以下は遺伝子の都道府県別分布のあるところです。念のため残しておきます・
・https://honkawa2.sakura.ne.jp/images2/7720e2.gif
・日経サイエンス2021年8月号 47都道府県人のゲノムが明かす 日本人の起源
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