奈良県桜井市にあるお寺です。大和と伊勢をつなぐ初瀬街道沿いにあります。
ウィキペディアによれば長谷川の名字で初瀬が起源になったと説明しています。
桜井の地に流れる川が「初瀬川(はつせがわ)」や「泊瀬川(はせがわ)」と呼ばれていたが、この場所が長い谷の地形であったことから長谷と漢字で表され発音のハセと一体化したとのことです。
長谷=初瀬=ハツセ=ハセ
グーグルマップを画面切り取りしたものを示します。
(リンクの仕方を忘れてしまいました。)
赤のA点が長谷寺です。165号線を見れば谷になっていることがわかり、多分そうであろうと思います。
長谷寺の創建については、国宝の銅板法華説相図(どうばん ほっけせっそうず)があり、その中に「飛鳥清御原大宮治天下天皇」のために造立したとみえ、天武・持統天皇にあたることから年代が想定されているようにも思えます。ただし、現在、本銅板銘は長谷寺(三重塔)の建立銘ではなく、銅板そのものの造像銘であることがですでに確認されており、長谷寺の創建と銅板とは切り離して考えることが通説となっているようです。天武・持統朝の創建とは考えられていないようです。
雄略天皇は、第21代天皇。大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)、大長谷若建命、大長谷王(古事記)、大悪天皇、有徳天皇とも呼ばれ、この地と関係があるかもしれません。
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