2015年3月14日土曜日

古い国名

角川選書551「食い物」の神語り 木村紀子著
を読んでいて、目からウロコでした。その中で理解したことに
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瀬戸内海を廻る周辺の国には、粟の国、黍の国など穀物の名のついた国がある。淡路島も粟への道の島の意味であり、その近くにはアズキ島もある。・・
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があります。安田仮説では天武・持統朝それより前くらいから大規模水田稲作が今の岐阜県に広がったのではとの想像しています。愛知県が終わりの国なので、日本書記が成立する前に大和政権が西日本を統一し、国名を定めたと考えて整合性はあります。好字令により、黍→吉備、粟→阿波、終わり→尾張となったのではないでしょうか。地名の成立は粟・黍が主体の地域(大和より西の地域)がある中で、フロンティアの大和の東から、稲作を主体にするという国の方針が定まったのではと想像します。壬申の乱で天武天皇が移動した地域がおそらくフロンティアの地域に対応しています。

上記の本にも記述されていますが、日本書紀に
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天照大御神は天熊人(あまのくまひと)を遣わして、保食神の様子を見に行かせた。保食神は本当に死んでいたが、その頭からは牛馬が、額の上には粟が、眉には蚕、目には稗、腹の中には稲が、さらに陰部に麦と大豆と小豆が生まれていた。天熊人は、それをすべて持ち帰って天照大御神に献上した。それを見た天照大御神は、大変喜んだ。そこで粟、稗、麦、豆を畑の種として、稲を水田の種とした。さらに天の邑君(あまのむらきみ)を定めた。その稲種を天狭田(あまのさなだ)と長田に植えた。その年の垂穂は、八握りもあるほどしなって、たいそう満足するものであった。
この部分引用です。
-------引用

天照大御神を持統天皇と考えると、水田稲作を重要視していることがわかります。また具体的に天の邑君(農民の長)など当時の雰囲気を神話形式ですが、におわせています。アマテラスを通じて日本の国の基本方針を語っていると思います。

アマテラス=持統天皇は、日本書記の一部では成立していますが、この部分も大丈夫のようです。

追記:H27.3.16
東の方の国名では、信濃←科野、美濃←三野、三河←三川など地形的なものが多いような気がします。開発されていく地域のイメージがあります。

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