(旧字体:豐葦原中國、とよあしはらのなかつくに)
古事記で天孫降臨の時にに出てきて、日本の国土を表しているそうです。
ここで葦原という言葉からの想像です。
葦原は日本の原風景のイメージですが、葦原から新たに水田などを造成していくという国土建設の意気込みを示しているように感じました。瑞穂の国とか大嘗祭(だいじょうさい)など稲作に関する儀式などから、当時の意識では稲作を国の基本と考えていると思います。
大君は 神にしませば 赤駒の 腹這(はらばう)田居を 都となしつ
という歌がありますが、大規模な土木工事などが行われ、稲作も大規模化がはかられていく中で国の統一がなされていったのではと思います。天武天皇から新しい時代が始まることをアピールしていますが、実際にもそうだったかもしれません。話が飛びますが、安田も都のたんぼだということを確信します。
0 件のコメント:
コメントを投稿