安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・
2015年3月8日日曜日
曽我・物部の争い
日本書記では崇仏派・蘇我氏と廃仏派・物部氏の争いとされます。宗教対立がそれほどの問題とは感じませんが、おそらく書紀の書かれた時代が反映して取り込まれたと思います。天武天皇・持統天皇の時代は国家神道を目指していたはずです。しかしその後の聖武天皇の時代には国家仏教に転換していきます。東大寺や国分寺など大きな財政負担になったはずで、政治の大問題になり、対立のもとになると思います。日本書紀の書かれた時代には神仏問題が重要問題と認識されていたとの想像です。書紀の内容については蘇我氏が優位になりますが最終的には乙巳の変で滅んでしまい、神道派におさまる展開になります。昨晩の思いつきですが、メモしておきます。
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