2015年3月8日日曜日

曽我・物部の争い

 日本書記では崇仏派・蘇我氏と廃仏派・物部氏の争いとされます。宗教対立がそれほどの問題とは感じませんが、おそらく書紀の書かれた時代が反映して取り込まれたと思います。天武天皇・持統天皇の時代は国家神道を目指していたはずです。しかしその後の聖武天皇の時代には国家仏教に転換していきます。東大寺や国分寺など大きな財政負担になったはずで、政治の大問題になり、対立のもとになると思います。日本書紀の書かれた時代には神仏問題が重要問題と認識されていたとの想像です。書紀の内容については蘇我氏が優位になりますが最終的には乙巳の変で滅んでしまい、神道派におさまる展開になります。昨晩の思いつきですが、メモしておきます。

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