2022年11月22日火曜日

三関の位置と琵琶湖ルート

 前の記事からの思いつきです。 

淀川から琵琶湖経由で北陸に至る経路を琵琶湖ルートと勝手にしてますが、天武天皇の時代には重要であったと思われます。三関が琵琶湖ルートを防衛してるように見えてきました。三関は東国との境界にあります。ウィキペディアからの三関の説明ですが、

三関(さんげん、さんかん)とは、古代の日本で畿内周辺に設けられた関所の内、特に重視された3つの関の総称。三国之関とも呼ばれた。当初は不破関(美濃国、現在の岐阜県不破郡関ケ原町)、鈴鹿関(伊勢国、現在の三重県亀山市か)、愛発関(越前国、現在の福井県敦賀市内か)の3つを指したが、9世紀初頭に逢坂関(相坂関。近江国、現在の滋賀県大津市付近か)が愛発関に代わった。

三関の意味ですが、ウィキペディアでは

古代、三関は天皇の交代など政情不安の際交通を遮断のため、堅く閉められていた[1]。
[1]^ “道路”. 関・関所、古代. 国土交通省 (2013年11月6日). 2016年11月29日閲覧。

とのことのようです。天智天皇の近江京では、そうかもしれませんが、その後に遷都された都の位置からはどうだろうと思われます。古代において琵琶湖経由が重要な交通路であって、それを防衛するために元々設置されたのが三関ではないかと思えてきます。新羅など大陸側への交通路を遮断されるのを天武天皇がおそれたのではという気がします。とくに愛発関など後に廃止されますが、古代にはまだまだ日本海ルートが重要視されていたのではと想像します。

文章だけではわかりにくいので、ウィキペディアの図を見てください。 

三関のおよその位置を示した地図 

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