2022年6月21日火曜日

獣頭人身像とメソポタミア

 獣頭人身像の起源のようなことが、以下の本136頁にがありました。 『メソポタミアの神々と空想動物』(MUSAEA JAPONICA) アンソニー グリーン (監修), MIHO MUSEUM (編集), & 1 その他、山川出版社 (2012/7/10)

「神・精霊なのか、扮装した人間なのか」 浮彫や印章などに登場する、身体が人間で動物の顔をもつ姿は、神や精霊そのものをあらわしていることもあり、またはその姿に扮装した人間である場合もある。
前一万年紀末~前九千年紀初期のメソポタミア北部の集落址シャニダール遺跡から興味深い遺物が発見された。配石遺構の外側に、山羊の頭骨が少なくとも十五個、ハゲワシ、ワシ、野鷹などの大型猛禽類の翼の骨が少なくとも十七羽分、山積みになっていたのである。鳥の骨の切り口を見ると、丁寧に切り取られたものであることがわかった。考古学者たちは、翼は儀式用の衣装の一部であり、山羊の頭骨は儀式で使う用具だと推測した。
バビロニアの「ギルガメシュ叙事詩」では、エンキドゥの死を悼むギルガメシュは獅子の皮をまとって荒れ地を徘徊する。また、前九~八世紀のアッシリアの宮殿浮彫にも獅子の頭をもつ人物が登場する。獅子頭、獅子の毛皮、手に鞭をもつ姿はおそらくラ・タラーク神(41頁参照)を意識している。しかし、神官の行列にいる場合は、神そのものではなく、獅子の衣装を着ている人間だと考えられる。

41頁参照の図ですが、ルラルの図としてあります。ルラルとラ・タラークとして説明があり、

ルラルはシュメールの神で、ラ・タラークはそのアッカド語による別称である。または、これら両神は元来独立した神格であったが、次第に習合していったとも推測される。前二千年紀の後半には一対の神として登場する。新アッシリア時代には家屋を呪術的に守護する神々として二神をかたどった小像が戸口に埋められたらしい。ともに人間の形をした神で、拳を振り上げ獅子の頭をもち、その毛皮を着て鞭をもつ姿として描かれた。呪術文書では呪詛から守る神々として挙げられている。軍神でもあったほか、家畜との結びつきが認められる。ラ・タラークは「鞭打つ」という言葉と関連する。

ルラルの図


キトラ古墳の獣頭人身像が、衣服をまとった像で、メソポタミアの像とつながりがあるかわかりませんが、無いとはいえないと思います。 それと、タラークですが、虚空蔵菩薩の種子にあります。何か関係あるのかもしれません。

先の本ですが、70頁に鳥の説明の中に、「神のシンボルを掲げる軍旗」がとりあげてあり、

神殿ごとの軍隊がそれぞれ異なったシンボルを軍旗にあらわしていたとも考えられ、新アッシリア浮彫彫刻に描かれている戦闘場面の軍旗に見られる。・・・

とあります。



これが、神武天皇東征の八咫烏か金鵄のイメージに重なります。このようなものはどこでもあるものかもしれませんので、思い込みになってるのかもしれませんが。

こうして見ると、キトラ古墳と高松塚古墳の違いですが、獣頭人身像は戦のイメージを持ちます。高松塚古墳の人物像は平和のイメージです。金庚信が武人のイメージなので、キトラ古墳の埋葬者も同様に思えます。天武天皇に近い武人のイメージを持ちます。

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