2022年6月10日金曜日

青龍

 四神の青龍、白虎、朱雀、玄武がキトラ古墳の石室内、東西南北の四壁の中央に描かれています。 青龍は、中国の伝説上の神獣で、青は東方、春などの意味を持ちます(ウィキペディアより)。

中国伝来とされてます。漢字では竜と龍がありますが、甲骨文字では龍より竜の方が古いようです。以下、

もとは、冠をかぶった蛇の姿で、「竜」が原字に近い。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%BE%8D

星座にりゅう座があります。 以下の星座図鑑で見ると、7月頃の天頂にりゅう座の説明があります。星座絵にチェックを入れると、蛇のような形が出てきます。

神話・伝説 りゅう座は、紀元前1200年頃には「へび座」と呼ばれていたようで、古代ギリシアの時代に「りゅう座」になったと言われています。https://seiza.imagestyle.biz/natu/ryuumain.shtml

『星座の起源: 古代エジプト・メソポタミアにたどる星座の歴史』近藤二郎、誠文堂新光社 (2021/1/25)の261頁に図があります。

図2-25


ライオンの下に蛇がいますが、前足があり竜のように見えます。ほかに見つからないので特殊かもしれませんが、この図から竜のイメージがあったことも考えられます。

別の図がありました。『古代メソポタミアの神々 世界最古の「王と神の饗宴」』小林 登志子(著), 岡田 明子(著), 三笠宮 崇仁(監修)、集英社 (2000/12/10)の中に 「バビロンの龍」ムシュフシュとして、図が掲載されています。 ムシュフシュ像の変遷 
(以下のところからリンクしていますhttp://www.moonover.jp/2goukan/meso/god_list/mushyufushyu.htm ) 図の6番目が似ています。

龍とは何だろうと思いますが、『龍の起源』荒川 紘、紀伊國屋書店 (1996/6/5)にいろいろまとめられています。その中の120頁から、「中国の龍はシュメールにさかのぼれるか」の記述があります。

これまでは、東西の龍は独立に発生、独自な広がりをしめしたと考えてきた。殷代の黄河流域にはシュメールと同様な龍の生まれる条件ーー大河と強大な国家の存在とコブラの不在が備わっていた点を重視してきたのである。しかし、その条件はより古いシュメールの龍が中国にも伝来した可能性を否定するものでもなかった。・・・

中国に龍のあらわれる殷代の後期は、甲骨文をはじめ、青銅器、馬車、天文、暦法が出現した時代であった点も見過ごすことができない。これらの、政治権力とふかく関係する都市文明はメソポタミアに起源、中国に伝えられたと考えられるのである。なかでも私がとくに注目するのは馬車である。戦車として使用された馬車は、殷の王朝が強大な帝国を築くための最強の武器であり、王のシンボルであり、それゆえ、馬車は殷墟の墓にも副葬されていたのである。

中国の馬車は中国起源であるとの見方もなくはなかった。だが、殷墟の王墓に副葬された4頭立ての馬車の構造はメソポタミアの馬車と同一である。馬と馬車をつなぐ方法もまったく変わらない。しかも、メソポタミアの馬車は不合理な軛《くびき》を用いていたのだが、その不合理な軛がそのまま殷でも使用されていたのである。不合理な技術が独立に発生したとは考えがたい。ルートは不詳であるが、中国の馬車がメソポタミアにさかのぼれることは疑いない(拙書『車の誕生』)。

そうであれば、支配の道具であり、「帝王の学」であった天文・暦法もまた王朝の祭祀用として発達、龍文をはじめさまざまな装飾のほどこされた青銅器についても、西方からの影響を無視できないであろう。・・・

アフリカに生まれた人類が、世界中に拡散していった人類最大の旅路を、「グレートジャーニー」と言いますが、アフリカ出立して、そのあとにメソポタミア地域が起点となって、言語・宗教などを含めた文明を確立してインド・中国・エジプトなどに広がったような気がしてきます。昔は四大文明の一つと習ってましたが、多分違っているように思います。

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