2020年12月6日日曜日

乙巳の変と韓人

  乙巳の変は、645年に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変で、その後、中大兄皇子は体制を刷新して大化の改新と呼ばれる改革を断行した。となっています。私は、日本書紀の創作物語と考えています。

1.歴史の繋がりを良くするために考えられた。

 聖徳太子はフィクションですが、その後継である山背大兄王が滅亡したものの、蘇我氏というフィクションが終わっていないので、乙巳の変で、入鹿や蝦夷など蘇我氏一族の滅亡させたと考えます。蘇我氏の専横を理由としています。蝦夷は舘に火を放ち『天皇記』、『国記』、その他の珍宝を焼いて自殺した、として証拠隠滅をはかっています。聖徳太子や蘇我氏の話のつながりを考えずに次の展開に進ことができます。

2.孝徳天皇の評価

 大化改新を作り出すことにより、孝徳天皇はそれほど評価されないような歴史観になっています。急に出てきたのではなく、おそらく遣隋使を派遣した流れの中で孝徳天皇もあるはずです。日本書紀の時代の文武天皇の正統性を考え、そこにつながる天智天皇を入れたと考えることができます。大化改新での郡評の違いも含めておかしな話になってると思います(まだ単に思ってるだけです)。

3.「韓人が鞍作(入鹿)を殺した」問題

 乙巳の変で私宮へ逃げ帰った古人大兄皇子が、韓人が入鹿を殺したと述べたと言うことです。韓人は朝鮮の人間のことで、この変で誰かが関与したということです。最終的には乙巳の変の実施した中大兄皇子になると思います。私は天武天皇は韓人の可能性大になってますが、天智天皇も韓人であろうかいうことになります。書紀は唐向けのものであって、天智天皇は戦争犯罪人の扱いとしています。従って責任転嫁で、天智天皇を韓人として、当時に唐と対立した韓に押しつけようとしたかもしれません。乙巳の変は、三韓の調をたてまつる日で、これにかこつけて殺された(日本書紀③、小学館、日本古典文学全集3の注)とあります。わかってないので間違って理解してるかもしれません。ただ、乙巳の変は天武天皇のイメージで語られていて、韓人ということを、天智天皇に押しつけた可能性はあります。


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