2020年12月3日木曜日

日本書紀は外交文書か?

  日本書紀は何ための文書だろうかということです。今まで歴史を記述していると考えていました。多分違うであろうと思います。書紀にはかなりの潤色問題があります。これは当時の日本の人たちは、歴史書と考えてないことで、正確ではない記述でも納得していたということではないかという気がしてきました。

 書紀、推古天皇十五年、秋七月三日、大礼小野妹子を大唐に使わされたとあります。実際は隋です。「唐」の客との表記を出てきています。どうしてこのような国の表し方になるのか考えました。例えば日本とアメリカで条約が結ばれる時に、実質は日本の政権とアメリカの政権の交渉であって、ちょっと古くなりますが、安倍首相とトランプ大統領との間で何かしら結ばれたとしても、安倍・トランプ条約とはなりません。日本書紀は隋ではなくて一般化した中国としての「唐」を用いているように思われます。中国の隋は、日本にとって政権であって国ではないとの認識ではと思います。日本書紀は中国の唐に日本をアピールするための文書であって、当時の日本側の人間はこれを歴史だとは考えておらず、中国側への説明文書としたように思います。潤色は当然であろうと言うことです。

 もちろん、推古天皇十六年秋八月の唐の皇帝の書簡に「皇帝、倭皇への挨拶を述べる」とあり、「倭皇」はありえず、「倭王」を改作したものとあり、さらに「皇帝問某王」は藩臣である藩王にあてたものかとあります。(新編日本古典文学全集3日本書紀②、小学館、258頁の注)。藩臣は格下を表すようです。従って書紀は、完全に唐に示したものでなく、微妙に直せるところは変更しているように思われます。小幅な修正にとどまり、大幅な修正はあきらめているような雰囲気を感じさせます。


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