日本書紀の編纂者はどのような気持ちで書紀を作成していったのでしょうか。このような空想物語のようなものに馬鹿馬鹿しく思っていたのでしょうか。「馬鹿」が「馬子」と「入鹿」に分散されていたとの俗説があります。「馬鹿」の語源について、安直ですがウィキペディアに
1)サンスクリット(梵語)説
主要な国語辞典に採用されている説とのこと。
2)史記の「指鹿為馬(しかをさしてうまとなす)」の故事を語源とする説
これが私にはしっくりきます。以下引用。
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秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。
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日本書紀編纂者は『史記』(しき)を知っていたということになります。
『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。空想物語の名前でも「蘇我馬鹿子」というようなものはちょっと使えませんが、「馬」と「鹿」を分割し、「馬子」と「入鹿」として、わかる人にはわかるし、わからない人にはわからないとしたのだという気がします。大化改新を含めて、日本書紀の虚構性を示していて、これがわからない者は大馬鹿者だとのメッセージだった。「蘇我蝦夷」もちょっと変な名前だなとかで追求せず、わかってなかった私は(ほかの人もそうだとは思いますが)大馬鹿者だったということになってしまいます。
追記:R021226
馬子と入鹿ですが、「馬の子に鹿の字を入れた」と読めるような気がしてきました。
追記:R021229
「馬子入鹿」として「子」は親子関係の子で、「続く」ような意味になるのではと思います。すると「馬の字に続いて鹿の字を入れろ」となり、額に字を書くときにこの指令に従えば「馬鹿」となります。こちらの方がすっきりします。
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