天智天皇の近江大津宮があります。大津市の錦織遺跡が大津宮の遺構と考えられていますが、狭小な地域にあって、発掘された部分も小さく、都とは考えられません。孝徳天皇の前期難波宮跡に較べて見劣りしています。孝徳天皇は実際に実在したと私は考えています。大津宮の規模では、本当に天智天皇がいたのかと疑われますが、そうでは無いであろうと今は思っています。
『古代寺院史の研究』を見てです。その根拠は白鳳寺院の遺跡数です。本の中の表1を抜粋しますが、
白鳳寺院の遺跡数が近江で圧倒的に多くあります。赤字の66のところ。寺院が多いということはその地域が経済的に発展していることを示し、近江大津宮がお粗末だったとしても、白鳳時代に天智天皇が近江にいたとして整合性は取れています。奈良時代になり寺院の数は減っていますが、天智朝が滅んだことと対応していると思います。
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