2020年2月11日火曜日

原始日本語

日本語は、いつ発生したのであろうか。現代の日本語の元になった原始日本語のようなものであろうが。今の日本語についての解説が以下の本に書いてある。
『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』、梅森直之編、2007年5月、光文社新書からの発想である。特に第2部は梅森氏が理解しやすいように書かれていてありがたい。
出版資本主義(一四〇頁から)
日本語とは何であろう。日本人が話す言葉が日本語であると信じているが、人によって異なっている。アンダーソンは、雑多な日常の言葉を「俗語」としている。正式な言葉が「標準語」であり、「出版後」であるというのがアンダーソンの考えで、出版が産業として成立するためには市場が必要でそのために作られたものが「国語」であるとのこと。日本人が日本語を話すのではなく、日本語を使うことで日本人になると主張している。毎日、新聞を見る行為は、見知らぬ多くの人との間の繋がりを作り出す儀式だと言っているとのことが書いてあると思う。
これに対して、そうであろうかという気がする(違うかもしれないという気がする)が、この考えは古代の日本において適用できるように思われる。出版というものが古代にあったかは不明であるが、文字の導入が日本語に大きく影響を与えたことは確実と思われる。七世紀ぐらいからの日本をイメージしている。文字を利用しない場合には、コミュニケーションの範囲は小さく、日帰りできるぐらいの領域が国の限界であったような気がする。中央の意思が地方に伝わるためには文字がなければ、人の移動で意思を伝えなければならず、制限されてしまう。古墳時代に国があったとして、文字がなければ、日本全体をまとめるような大きさになるとは考えられない。漢字は表意文字であるが、表音的に利用する万葉仮名のようなものが取り入れられて初めて、国としての管理システムの体裁が整ったと考えられる。それまでは共通化された日本語はなく、七世紀ぐらいから漢字を借りてきた表音文字が使える人が日本人となった(日本の指導者層か?)ということである。従って原始的な日本語でコミュニケーションがうまくとれない状況の中で、冗長性を持たせるために枕詞などが出来たのではないかと想像している。日本語の起源をこの時代に求めたい気持ちがある。
先の著の一四四頁から引用する。
アンダーソンは「クレオール」から国民へということで、一八世紀後半から一九世紀初頭に誕生した新興アメリカ諸国家が、もとはといえばヨーロッパの宗主国によって線引きされた行政上の単位に過ぎなかったことに注意を促す。これらの植民地に生まれ育った人々は、クレオールと呼ばれ、本国出身の人々に対し一段低い立場におかれていた。・・・彼らは本国の役人になるまで出世することはできなかった。・・・
多分、違うとは思われるが、似ているところがあると思われる。本国と植民地の間の接着剤の役目をクレオールが担い、言語も両方が混ざったものになるが、これが万葉仮名などの文字の導入により文字化された日本語がうまれたことに相当したと考えていた。実はこの時代には、上代特殊仮名遣いの問題がある。これは『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などには仮名の使い分けがあり、同じ仮名に例えばキにはキ甲類、キ乙類と二通りのかき分けがある。この時代の大きな変化があり、生じた可能性がある。白村江の戦いのあと、百済人が大量に日本に亡命してきており、大混乱によって日本語が生まれたことを考えていたが、違うかもしれない。「上代特殊仮名遣い(記紀万葉)朝鮮帰化人記述説」があり、単に書き手が理解した風に、百済人のヒアリングで記述しただけで、日本語そのものは変わらず、世代が進めば、渡来人の子も日本化していき、結局上代特殊仮名遣いは消え去ってしまったと言う説がある(下記の本)。同時に述べている「倭王朝渡来王朝説」はどうかと思われるが、百済人が日本に文化大革命を起こしたという部分はそうかと思われる。従って上代特殊仮名遣いの問題は、理解不足で誤解があるだろうが、単なる記述上の問題と当面は考えることとする。
藤井游惟、『白村江敗戦と上代特殊仮名遣い』、2007年10月、株式会社リフレ出版

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