2018年9月9日日曜日

美濃和紙

 美濃和紙は中世に濃紙《のうし》。薄白《うすしろ》とよばれ、障子紙・扇の下紙・草子紙として重宝され、現在は文化財の補修などにはかかせないものとなっている。地域の特産品だろうと思います。地域の特産は、その時代に需要と供給がマッチして生まれるもので、古い時代に紙が重要になった時、つまり律令制の時代になり、文字で管理する必要が生じ、いろんな多量の文字データの保存が考えられたはずです。最初は木簡だろうと思いますが、扱いにくくて、代わりに和紙が求められたものの、都の付近では生産が出来ず周辺地域で渡来人の指導のもと和紙の生産が考えられ、これが美濃和紙のもとになった可能性はあるのではと思いつきました。
 
いつも参考にする「岐阜県の歴史散歩、山川出版」をみました。
美濃市蕨生には美濃和紙会館があり、その北西にあたるところに集落上野《かみの》があり、対岸の御手洗《みたらい》とともにかっては和紙生産の盛んなところで、上野には太田縫殿助信綱《おおたぬいとのすけのぶつな》が1173(承安3)年に牧谷にきて紙を漉きはじめた。また御手洗には、羽場蔵人秀治《はばくろうどひではる》が810(弘仁5)年に牧谷で製紙をを始めたという伝承が残っている。

とのことです。残念ながら律令の時代からは一世紀は遅れているので、この話は成り立たないように思われます。
ですが、それほどトンチンカンな話でないようで、アップしました。

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