安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・
2018年9月12日水曜日
奈良の墨
奈良では古くから墨作りが行われ、国内のシェア9割だそうです。律令時代から引き継いでいるにかと思いました。しかしそうではないようです。奈良で古い店で創業1577年とのことで、奈良時代ではありません。菜種油を燃やして煤をとり、にかわで練ります。型をとって乾燥させるそうです。これが油煙墨(ゆえんぼく)。もともとは松を燃やして「すす」を採り、これを松煙墨と言い、古来の墨を作り方で、油煙墨の方が黒く品質が優れていたようです。律令制で文字の保存が必要になり、その結果から、和紙や墨で古代を追っていけるかと思いましたが、難しいようです。興福寺とかで仏教のお経とかの需要が多く、奈良の産地が残ったようです。
墨ー奈良市
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