2018年7月9日月曜日

国名からの妄想

前回の続きです。
 阿蘇山が火山であると認識されていたことで、火の国から肥前・肥後国が出てきました。火があれば水です。近江の「ミ」は水の意味で、琵琶湖があり、水の国のイメージに思われます。紀国は木です。それで行くと、大和は山になります。山があれば川です。思いつくのは河内です。すると対応関係からヤマトの「ト」は外になります。山の外と川の内です。名前ができたとき、川が近くで山が遠くにあったことにります。倭国が吉備に中心があったとして、その時に国名ができたとすれば、大和と河内の位置関係は合っています。出雲は雲が出る方向なのかとか、吉備・阿波などどうしてできたのか、クリアで無いところがあり、まだまだ考えないといけないですが、倭国が吉備であるということと矛盾はありません(河内が中心と考える方が良いとも思えるので間違いかもしれません)。
大和と河内は昔呼んだ本にありました。
鬼ノ城で発掘された土器は七世紀後半の物のようです。どうも遣隋使の返使が吉備に来たというのは無理筋っぽいです。

追記:R01.08.10
吉備が倭国としても良いのではと思うようになりました、
案外、単純な名前のように思ってきました。
・火の国、肥前とか肥後とか阿蘇山があり噴火したことから。
・水の国、淡海(近江)、琵琶湖があるから。遠江はわかりません。
・木の国、紀国、木が多いから。
・ヤマト・河内、山とか川から。
紀国が追加されただけです。
阿蘇山の噴火がいつごろかがわかりません。
気象庁のページでは
553年(欣明天皇14)噴火?
とあります。かなりの信頼度が低いデータのように思われます。
有史以降も案外噴火があるので、記録にない時でも数多くあったと思えます。
国名がいつの時代かはこれだけではわからないようです。

0 件のコメント:

コメントを投稿