2018年7月18日水曜日

栃木県の安蘇

 下野国安蘇郡の地名です。平凡社歴史地名大系9栃木県の安蘇郷には万葉集の歌から麻を産する地域であろうとしています。680頁から範囲として県の南西部に位置。現在(出版時)の安蘇郡は東は栃木市・上都賀郡粟野町、南は佐野市・下都賀郡岩舟町、西は足利市、北は群馬県桐生市・勢多郡東村と接する。とあります。古墳時代の話として、当地域最古のものと思われる五世紀前半から中葉にかけての築造とされる佐野市堀米町の八幡山古墳がある。また古墳群も多く見られとかいてあります。それだけならなんということもないのですが、栃木県には河内郡というところもあります。現在の河内町は宇都宮市に近いところにあります。吉備国にあるものとこの安蘇郡、近畿地方の河内とこの地の河内町と関係がありそうに思われてきました。栃木県の安蘇郡は県の西側、河内町は県中央部にあり、古い時代に、吉備が中心であり、それが河内に変わっていったとすると、最初に安蘇郡が発展し、その後河内郡が発展していくこと(西の地域から東に移動)に対応しています。日本各地に前方後円墳が作られますが、計画・基本設計や実際のノウハウ的なこと無しに一から作るのは難しいと思います。築造には大まかには現地の人ですが、中央からの古墳築造の専門家集団が必要とされ、その指導の下に作られたはずです。こういった人たちが集まった場所が安蘇・河内の地名となった可能性はありかと思います。これは、古墳時代に地名があったかは定かではなく、律令制の開始時期の方が整合性あるので、今のところは確としたものではありません。
 ついでですが、茨城県にも河内郡《かっちぐん》があります。この地域も何かしらの関係があるかもしれません。河内の地名は多そうで、すべてをチェックできそうにはありませんので、思いつきの話です。麻生の地名で麻の産地のような記述も見かけたので、断定はできませんが、意識していこうと思います。

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