2018年7月27日金曜日

佐那河内村

 棚田の本を見ています。全国棚田ガイドTANADASという棚田の紹介の本からの引用です。村名が神話につながる棚田の村ということで、府能地区が紹介されています。

佐那河内村は徳島市の南西に隣接する県内唯一の村である。日本の棚田多しといえども、村の名称が”棚田”に通じる意味を持っているのはおそらくこの佐那河内だけではないだろうか。
 この村の古地名は「佐那縣《さなのあがた》」「狭長村《さながむら》」という。「日本書紀」」神代記には、高天原で天照大神が御田としたのが「天狭田《あまのっさなだ》・長田《おさだ》」であるという。佐那縣の「佐那」は「天狭田」と同じく「棚田」を表す言葉である。
 また、「古事記」の天孫降臨条には「手力男神《たじからおのかみ》は佐那縣に座す」と記されているが、村西方の牛小屋地区には三社さんと呼ばれる「天岩戸別神社」が祀られ、主祭神は天手力雄命《あめのたじからおののみこと》」なのである。佐那河内村の原点は棚田にあり、日本最古を示す地名といえそうだ。

と書いてあります。日本書紀では、「狭い・長い」ということから形状を考えると棚田のことであろうと考えられ、田の原型が棚田であるという認識を当時の人は持っていたと思われます。この本では、棚田が江戸時代に開発されてこととか、昭和の時代になって開発された棚田もあるようで、棚田であれば、古い時代にさかのぼれるというものでもなさそうですが、私にとっては、佐那+河内と考えられ、河内の勢力がこの地域の棚田開発を行ったことが想像されます。
以下は、地名辞典からの引用です。
佐那河内「さなごうち」、「さながわち」ともいう。約70パーセントが山地で平地に乏しく、わずかに河川に沿う谷底平野や河岸段丘からなり、東西に細長い盆地状を呈する。耕地は山地斜面にも散在し、村域は県下有数の地滑り地帯となす。地名については「阿波志」は佐那河内守なる人物の所領であったことにちなむというが、未詳。
また寛平年間に名方郡が名東《みょうとう》・名西《みょうさい》の2郡に分かれたとき名東郡に属して佐長村と称したとも伝える(佐那河内村史)。とあります(角川日本地名大辞典36徳島県)
徳島県の地名、日本歴史地名大系37の中、名東郡の項には、遺跡としては根郷塚古墳のみ記されていて、古い時代のことは良くわからないようです。

2 件のコメント:

  1. 佐那河内村にある、御松比古神社は1.800年前に当時の長国造として唐背足尼(からせのすくね)が居た場所で、足尼を奉ったといわれています。また現在の佐那河内村になって2021は千年目にあたりす。

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  2. コメントありがとうございます。反応が遅く失礼しました。今ちょっとコロナ禍で、できませんが、、詳しく調べてみたいとは思います。

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