「安い」を調べていて、近くに「やすみしし」という言葉がありました。「八隅知し・安見知し」で、わが大君などのかかる枕詞とあります。
枕詞はデジタル大辞泉では
1.昔の歌文、特に和歌に用いられる修辞法の一つ。一定の語句に冠してこれを修飾し。または語順を整える言葉。普通は五音、まれに三音。四音などのもある。例として、あしひきの、たらちねの、ひさかたのなどがあげられている。
とあります。
「あしひきの」であれば、「山」にかかり、「たらちねの」であれば、「母」に、「ひさかたの」では「天空に関するもの」に限定された結びつきにあるということです。
冗長的な表現であり、なぜこのような表現が出てきたかということが疑問です。しかし、枕詞の説明で納得いくものは見つけられませんでした。普通に考えると、言葉がくどくなるのは、うまく伝達できないので繰り返したり、言い換えたりしてきます。”アメリカの「あ」”というようなもののように私には思われてきました。
ひょっとして、この時代、日本語が確立してなくて、コミュニケーションがうまくいかず、日本語の生成期にあったのではと思われてきました。想像ですが、百済滅亡の時、多くの人が難民として日本にやってきました。この中で、その他大勢のグループから安田の名字の人が生まれたというのが安田仮説ですが、役人とかに取り立てられた人のことは考えていませんでした。元から日本にいた人と渡来人との間にコミュニケーションがうまくいってなかったと思われます。枕詞は正確なコミュニケーションを求めて、できたものではとの想像です。
クレオール語と日本語、田中克彦著、岩波書店
この本で比較言語学の項で、面白いことがかいてありました。
互いによく似た構造の言語を比較して、共通の祖先を仮定し、そこからどのような変化をへて現状にいたったかを、厳密な方法を用いて研究するのが比較言語学というそうです。他の言語と混じり合わないことを前提としています。
比較言語学の方法にたつ言語系討論は、たとえて言えば、言語学における万世一系の天皇制を主張しているようなものです。そうではなくて、すべての言語は混じりあうことで変化し、発展してきたと言ったのがクレオール学の祖と呼ぶべき、フーゴ・シューハルトであった。音韻法則の虚構性をバクロした・・・
比較言語学ではうまくいかないということのようです。
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