京都、大徳寺塔頭、黄梅院に行ってきました。利休十六歳の時に作られた直中庭、天正年間に作庭された(一文字に三つ星の紋があり、毛利の改修のようです)破頭庭などがあります。パンフレットによれば、・・・永禄五年、織田信長公が初めて入洛すると、秀吉公を京都所司代に任じ、併せて父・信秀公の追善菩提のために普請を命じ小庵を建立させた。この小庵は大徳寺九八世住持・春林和尚を開祖に迎え「黄梅庵」と名付けられた。これが当院の始まりである。天正十年、本能寺の変により信長公が急逝すると、同年十月密葬され、その後秀吉公は「黄梅庵」に築を加える。しかし主君の塔所としては小なりとし、信長公の法名・総見院殿より、その名をとり、山内に別に「総見院」を建立し、お祀りした。当院は築を新たにし、天正十四年五月秀吉公によって本堂と唐門が改築され、天正十七年鐘楼・客殿・庫裏等を小早川隆景普請奉行のもとに改築落慶し、この年「庵」を「院」に改めている。・・・
黄梅院入り口付近の石碑です。右から織田信長公霊所、毛利元就公家一門霊所、小早川隆景卿墓所、蒲生氏郷公墓地となっています。織田と毛利は、鎌倉時代の新補地頭から守護大名仲間ということなのだろうとは思いますが、違うかもしれません。今のところはっきりとはわかりません。
参考:名字:織田、毛利、今川
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