2013年11月26日火曜日

名字:石崎

木津川市に行ってきました。鹿背山(かせやま)にある西念寺のところで石崎という名字が多いように思いました。崎は先か前の意味で石の前で石崎になっとた想像します。しかし鹿背山は瓦窯跡(かわらがまあと)があるようですが、石との関係はわかりません。
山城郷土資料館の出入り口に江戸期大坂城残念石がおいてあったのチラッと見ました。大坂城改築の時に用意したものの、もう要らないとなったものです。この地方が石の産出地域であったことで鹿背山とは特定できませんが、石との関連を感じます。石崎の分布図では京都はそれほど多くはありません。

関連して(あまり関連してないかもしれませんが、メモです)
木津里:いにしへは泉里(いずみのさと)といふ。聖武帝のの御宇、南都大仏殿建立の時、国々より材木を運送し、この里に着きしより木津の名あり。この所より奈良へ一里半なり。・・・都名所図会より。

鹿背山不動:西念寺から1.3㎞くらい南にあります。鎌倉中期とされています。拾遺都名所図会に江戸時代の図があります。日本文化研究センターのデータベースからコピーしてます。現在もあまり変わってないように見えます。



図の左手に「ふどう」があります。これが鹿背山不動です。中央部右に碁盤石があります。次の写真です。今も残っています。



名所図会の中央下の方の石段の横に滝がありますが、大きな石に換わっています。大仏鉄道建設の時、こちらの石が使われ、ついでに据え付けられたようなことを聞きました。大仏鉄道営業は明治三一年から命じ四〇年とのことです。


石段の上から見ています。左の方に水が流れ落ちます。名所図絵は左から見ています。
「石崎」の石は何かしらの関係があるはずですが残念ながらわかりません。


0 件のコメント:

コメントを投稿