2013年11月29日金曜日

名字:宮と寺

宮を含む名字と寺の文字のものの比較です。
各県別に宮の字のある名字の比率を合計したものを調べました。たとえば最大値は長野県で3.7パーセントぐらいです。それと同様に寺にもついて調べてみました。各県で一万より少ない県もありますが、最大一万位までの名字について考えています。それ以降はカットしてるので完全にとらえているものではありませんが、大きな誤差にはならないと思います。
お寺か神社かの比較のつもりです。


宮の分布を見ると、東北地方まではあまり及んでいないように見えます。
一方、寺の方は近畿地方が多めで、岩手県、宮城県へ飛んで多くなっています。



比率でわかりやすく見ると、宮が基準の寺/宮比率では岩手県、宮城県が大きいのが確認できます。九州・四国ではちいさいようです。

寺基準の宮/寺比率では沖縄県で圧倒的に宮の比率が高く、他の地方が小さくなりすぎるので、この図では沖縄県だけ1/20にした表示にしています。四国、九州、石川県~長野県~山梨県のラインが多く、神社が拡散していく後で、寺が広がっていきますが神社の影響が残った地域で、東北地方へは仏教が神社を追い越し広がったように見られます。東北地方は奥州藤原氏の時代を想像します。

2013年11月28日木曜日

名字:三輪、丹羽

丹羽と三輪の相関係数0.89でかなり相関が高いです。ニワ、ミワと読むと思います。
三輪→三羽→三より二が良い、二羽→丹羽とかあるかもしれませんが、現時点ではm音からn音への変化と考えます。三輪→丹羽です。もちろん、単に「読みて」→「読んで」からの連想で、日本語の発音の時代的変化から出てきたものではありません。
少し前に岩と石の比較した時に石川に対する岩川が1000位内のデータでは無く比較できませんでした。この辺は想像ですが岩川が発音しにくかったか、日本語の発音の変化の影響があった可能性はあります。以前に岩と今の相関の記事を思い出しました。岩川≒今川と予想しましたが、今川は鎌倉時代の新補地頭の影響か証明することができません。しかし名字は発音の影響が大きいという気分になっています。イワ→イマを考えると、ミワ→ミマの変化も考えられます。名字の分析では読み方も重要な要素ですが、漢字のみで取り扱うのには問題あることに注意しないといけないようです。
参考:名字:今井、岩井


2013年11月26日火曜日

名字:石崎

木津川市に行ってきました。鹿背山(かせやま)にある西念寺のところで石崎という名字が多いように思いました。崎は先か前の意味で石の前で石崎になっとた想像します。しかし鹿背山は瓦窯跡(かわらがまあと)があるようですが、石との関係はわかりません。
山城郷土資料館の出入り口に江戸期大坂城残念石がおいてあったのチラッと見ました。大坂城改築の時に用意したものの、もう要らないとなったものです。この地方が石の産出地域であったことで鹿背山とは特定できませんが、石との関連を感じます。石崎の分布図では京都はそれほど多くはありません。

関連して(あまり関連してないかもしれませんが、メモです)
木津里:いにしへは泉里(いずみのさと)といふ。聖武帝のの御宇、南都大仏殿建立の時、国々より材木を運送し、この里に着きしより木津の名あり。この所より奈良へ一里半なり。・・・都名所図会より。

鹿背山不動:西念寺から1.3㎞くらい南にあります。鎌倉中期とされています。拾遺都名所図会に江戸時代の図があります。日本文化研究センターのデータベースからコピーしてます。現在もあまり変わってないように見えます。



図の左手に「ふどう」があります。これが鹿背山不動です。中央部右に碁盤石があります。次の写真です。今も残っています。



名所図会の中央下の方の石段の横に滝がありますが、大きな石に換わっています。大仏鉄道建設の時、こちらの石が使われ、ついでに据え付けられたようなことを聞きました。大仏鉄道営業は明治三一年から命じ四〇年とのことです。


石段の上から見ています。左の方に水が流れ落ちます。名所図絵は左から見ています。
「石崎」の石は何かしらの関係があるはずですが残念ながらわかりません。


2013年11月25日月曜日

名字:岩と石


岩と石の比較をしました。古い名字であると思われる本のつく名字の岩本と石本です。
岩本がベースで石本が分子です。新潟で石本が大きくなっていますが、まあまあ均一な感じを受けます。本の時代はそれほど岩と石に差が無いように見られます。


次に石田岩本比率です。田は本より時代が後になります。これで見ると東北地方に対して石の方が大きく、岩→石の傾向にあるように思われます。


石井岩本比率においても、ベースが岩井ですが、石井は東日本や九州に多く、岩→石の傾向を感じます。


石崎岩崎比率では残念ながらきちっとした傾向は見られず、東北、関東、北陸、四国も一部に石崎が大きくなっている。岩と石では画数が岩の方が多く、後の時代のように見えますが、傾向としては数少ない例ですが岩→岩となっているようです。


あと、石と岩で比較しようと思ったのですが、比較できない名字もあります。発音とかしにくいものは広がらなかったのかもしれません。

2013年11月22日金曜日

名字:山下

山のつく名字です。分布図を示します。古い時代からある名字のようにみえます。
パターン化してますが、山下山本比率もしめします。各県の山下と山本の比率を見たものです。
九州で山下が多いですが、他の地域は目立った違いはありません。
山の下も、山のふもとも同じように考えても良いように思いました。
 山下≒山本 のようです。
九州では鹿児島県、佐賀県が目立ちますが、大分県以外にも山下が多いようです。
九州地方から山下が広がったか、後の時代の影響かはわかりません。

参考:名字:山本、山田


2013年11月21日木曜日

大山崎油座

山崎の関係です。鎌倉時代前期頃から戦国時代末期にかけて大山崎油座という、えごま油を独占販売した特権商人からなる座があり、中世日本最大規模の油座だったそうです。現在の京都府乙訓郡大山崎町および大阪府三島郡島本町が本拠。山崎神人(じにんと読むらしい)といわれ各地へ商売していったようです。
ウィキペディアからの受け売りですが、影響を及ぼした地域が書いてありました。
原料(えごま)仕入れ特権の地域・・・近江、尾張、美濃、伊勢、河内、攝津、播磨、備前、阿波、伊予など
山崎の分布図を見ると微妙に分布が小さく感じます。
製油販売に関する特権・・・大和国を除く畿内、丹波、丹後、若狭、近江、美濃、尾張、備中、備後、紀伊、伊予など
分布も大きくなっているところもあります。山崎という名字と関係があるのか、ないのかわかりませんが、参考になるかもしれないと思いアップします。

参考:名字:山崎

2013年11月19日火曜日

山崎の戦い

名字では無く地名です。ウィキペディアによれば
------
山崎の戦い(やまざきのたたかい)は、天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変を受け、備中高松城の攻城戦から引き返してきた羽柴秀吉軍が、6月13日(西暦7月2日)に摂津国と山城国の境に位置する山崎(大阪府三島郡島本町山崎、京都府乙訓郡大山崎町)において、織田信長を討った明智光秀の軍勢と激突した戦い。
古来天王山の戦いと呼ばれてきた合戦の現代的表現で、山崎合戦とも呼ばれる。
------
山崎という地名ですが、天王山の先にあることから山崎になったんだと思いました。地形由来で、いつの時代かはわかりませんが、少なくともその一つと考えられます。Aの地点が島本町山崎です。地図の上の方、緑のところの山が天王山です。多分。



2013年11月18日月曜日

名字:山崎

山本、山田に関して山崎が気になります。
山崎の分布を見ると広がっています。山田の時のように山崎山本比率をとると東日本や九州・四国(高知)に山崎が広がっているように見えます。山本→山崎もあるのかなと思います。
崎ですが、岬の意味ではなく、先か前(さき)の意味だと考えています。



2013年11月16日土曜日

埼玉県

ウィキペディアの埼玉県のところに読み方についてかいてありました。
さきたま→さいたまとなったそうです。
--------
「埼玉」の地名の発祥地は「北埼玉郡埼玉(さきたま)村」(現:行田市大字埼玉)である。その名称の由来は諸説あるが、埼玉古墳群が由来とする説や、幸福をもたらす神の働きを意味する「幸魂」(さきみたま)から名づけられたとする説がある。奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(さきたま)という記述があり、また、平安時代の『和名類聚抄』に「埼玉」「佐伊太末」(さいたま)という郡名がみられる。当時、既に「さいたま」と呼ばれていることが分かる。
--------
き→いの変化です。

参考:名字:高木、高井(10月18日の投稿)

2013年11月15日金曜日

名字:藤田のもと

藤田の藤は藤原氏によることはわかりますが、田は何だろうかということになります。
本→田ということで、藤本→藤田と考えるのは、藤原時代以降となるので田が後ろにつく名字から変化したと考えたいです。?田→藤田だろうかということです。藤田と相関の高い名字に岡田があります。相関係数0.57で少し低いですが、いろんな田のつく名字から変化しただろうとは想像されますが、主たるものは、(藤田と藤岡)の相関が高いことから、藤+岡田→藤岡+藤田と考えます。岡田→藤田が一番可能性が高いと思います。
おおざっぱな流れとしては、
岡本→藤本

岡田→藤田
の関係で、藤本→藤田ではないと今のところ考えています。

2013年11月14日木曜日

名字:本と田、藤・森・竹

本と田ですが、山・岡以外も見てみました。
藤田と藤本の比較です。藤本の比率が分母で藤田の比率が分子です。丸の大きいところが藤田の多い地域です。藤は藤原時代の影響を受けた名字ですが、東日本で藤田が拡大していて痕跡が残っています。
森田と森本の比較では、やはり森田の比率が東日本で多いです。九州についてはなぜ大きくなってるかはわかりません。
竹田と竹本では山形県で比率が高く全体的な比較が出来ないので山形県だけ値を1/3にしたものをデータ改で示します。微妙ですが、東日本の方が多いように見えます。
本→田の変化であろうと思います。


2013年11月12日火曜日

長浜市の神前(かみさき)神社

滋賀県長浜市に行ってきました。準備してなくかったのが残念です。
タイトルの神前神社を通りました。長浜市木之本町石道にあります。
滋賀県百科事典によると、祭神は許勢小柄宿禰命(こせのおからのすくねのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)。はじめは高尾山神前谷にあり、1498年(明応7)氏子とともに現在地にうつるとのこと。別の所に明応9年(1500)現在地へ遷・・ともありました。方角を正確には見てなかったのですが、参拝の方向は己高山の方のようです。この神社の名前からも前≒崎のような気がします。大元の神様の前にある神社の意味のようです。

2013年11月10日日曜日

名字:山本・山田(再)

昨日に続いて本→田の話です。ひょっとして早まったかと思いましたが、杞憂でした。
山田の比率を山本の比率で割ったものを各都道府県ごとに表示しています。
丸の大きさが大きい方が山田が相対的に多いことを示しています。岐阜県から東日本の方に山田が広まっていることがわかります。山本→山田が岐阜県から始まったことを裏付けるデータだと思います。
山本の田んぼから山田となるのは、単純すぎる気がしますが、山田は地形依存の名字ではないことを示せました。沖縄のところは名字の傾向が異なることから、今は無視しています。
山本と山田それぞれの分布は、「名字:山本、山田」をご覧ください。

2013年11月9日土曜日

名字:岡本、岡田(再)

岡田も同様、岡にある田では無く、おそらく岡本の田の意味であろうというのが、現時点での考えです。岡本から岡田へと少し東の方に移動しているように思えます。10月19日の名字:岡本、岡田のデータでは見にくいですが、岡本から岡田で微妙に東に移動しています。わかりにくいので追加データです。各県について、岡田の比率を岡本の比率で割ったデータを見ました。下の図です。岡本がベースです。大きい地域ほど岡田が相対的!に広まっていることになります。岡本から岡田と東の方に移動していることがわかります。

2013年11月8日金曜日

名字:大・小・中の字で始まる名字

各都道府県ごとに、上位200位までで、大・中・小で始まる名字を数えて見ました。以下の分布を見てください。1個の違いが大きく、また区分の仕方でイメージが違ってきますので、細かい違いは気にしないほうが良いと思います。
小の字では、3から14個で、東京の付近は全国からの流入による影響で薄まっているようにも思いますが、おおざっぱに東日本で小で始まる名字が多いようです。なぜかはわかりませんが、西日本では岡山県が特に目立ちます。
大の字では、2から15個で、これも荒っぽいデータとは思いますが、静岡と関東地方から東北にかけて、四国・岡山から島根に多いようです。東日本の地域では、分布が重なることで小と大の相関が出てくるのだと思います。
中の字では西日本で多く、沖縄は1個ですが、4から14個の分布です。これもおおざっぱですが、名字に西日本の分布が関係するときに中で始まる名字が出てくるのだと思います。
西日本から東日本へ移動したときに、名字の最初に子孫の意味で小をつけたというのも部分的には整合性があるようです。






2013年11月7日木曜日

名字:沼田、小沼、大沼

沼田と小沼では相関係数が0.63です。
分布図では、沼田→小沼→大沼のように見えます。思い込みかもしれません。
大・小の関係が気になりますが、関東・東北地方に、大、小のつく名字が多いのかもしれません。
そのため、分布によっては、見かけ相関が高い名字が増えてきているだけのような気もします。
上位30個中で見ます
沼田と相関の高い名字:小室、大内、小沼、・・、大高、・・、小泉、・・、大友、・・
小沼と相関の高い名字:・・、小室、・・大内、大和田、大高、・・沼田、・・大貫、・・、大津、・・
大沼と相関の高い名字:・・、大場、・・、小関、・・、・・、大滝、・・
沼田も関東地方に分布があるので、大小の名字と相関が出てくるのかもしれません。
いつもの分布図です。





2013年11月6日水曜日

名字:小野、大野

「小野」の分布を見ます。今までの関東地方の分布と違います。小の字がつく名字は何かの子孫と思っていました。全く違います。小野は古い名字で小野妹子(男子とされています)が遣隋使として活躍したそうです。ウィキペディアでは、小野氏は、遣隋使となった小野妹子をはじめ、遣唐使などを務めたものが多く、東北や九州などの地方官僚などを務めたものも多い。とあり、分布図からはそうかなとは思います。小野は藤の付く名字と相関が高く、藤原時代の影響もあるようです。逆に大野は東北・九州はそれほどでもないように見えます。相関の高い名字はばらばらな感じでなので、時代的には小野→大野と言えそうですが、小→大の直接の変化とは強く言えないデータではあります。この辺が感覚的でだめなところですが。


2013年11月4日月曜日

名字:小山、大山

ランキング外なので、引っ張り出してくればあるんですが、相関係数のやり方を忘れていたので
またやってみました。小山と大山の相関係数の結果-0.041です。以前の計算と合っていてほっとしました。
微妙に分布が違います。小川→大川とすると、関東地方では西から東への移動ですが、東北では東から西です。東北地方が矛盾しています。



名字:小川と大川

相関係数ですが、ランキング外です。調べると0.20でした。あまり関係が無いと言うことです。
微妙ですが、小川→大川で東の方に移動しているように見えます。
小川で分布のあるところが大川では小さくなっていたり、小川の分布の小さいところで大川の分布が大きくなっていたりしているようにも見えます。東北地方などで見ると大川の分布が増えているようで、小川→大川かもしれないというデータではあります。


2013年11月3日日曜日

黄梅院、織田・毛利

京都、大徳寺塔頭、黄梅院に行ってきました。利休十六歳の時に作られた直中庭、天正年間に作庭された(一文字に三つ星の紋があり、毛利の改修のようです)破頭庭などがあります。パンフレットによれば、・・・永禄五年、織田信長公が初めて入洛すると、秀吉公を京都所司代に任じ、併せて父・信秀公の追善菩提のために普請を命じ小庵を建立させた。この小庵は大徳寺九八世住持・春林和尚を開祖に迎え「黄梅庵」と名付けられた。これが当院の始まりである。天正十年、本能寺の変により信長公が急逝すると、同年十月密葬され、その後秀吉公は「黄梅庵」に築を加える。しかし主君の塔所としては小なりとし、信長公の法名・総見院殿より、その名をとり、山内に別に「総見院」を建立し、お祀りした。当院は築を新たにし、天正十四年五月秀吉公によって本堂と唐門が改築され、天正十七年鐘楼・客殿・庫裏等を小早川隆景普請奉行のもとに改築落慶し、この年「庵」を「院」に改めている。・・・
黄梅院入り口付近の石碑です。右から織田信長公霊所、毛利元就公家一門霊所、小早川隆景卿墓所、蒲生氏郷公墓地となっています。織田と毛利は、鎌倉時代の新補地頭から守護大名仲間ということなのだろうとは思いますが、違うかもしれません。今のところはっきりとはわかりません。
参考:名字:織田、毛利、今川

2013年11月2日土曜日

名字:小島と大島

小と大の相関関係はいっぱいあると思っていましたが、
小と大の同じ名字での比較が出来るものはありませんでした。数少ない例が島です。嶋もありますので、同時に比較します。小島→大島だと思います。分布図で見ると大きな地域的な移動は無いようです。小嶋→大嶋は少し弱いようです。
相関係数は
小島と大島は0.57
小島と小嶋は0.48
小嶋と大嶋は0.38
大島と大嶋は0.63
です。




名字:島田と嶋田

島田と嶋田の相関係数は0.46です。
島田と相関の高い名字を見ると島のつく名字が多いです。
一方、嶋田の方は嶋のつく名字がぽつぽつです。島のグループを感じますが、嶋のグループ感はありません。分散しています。よって島→嶋であろうと思います。
 参考になるかわかりませんが、分布図を示します。