前の記事で改竄があったならば、その痕跡があるはずだと考えられます。 コタツ記事みたいですが、ウィキペディアの日本書紀の区分論に
『日本書紀』は内容・語句・音韻など様々な観点から各巻をいくつかのグループに分類できることがわかっており、多くの学者が区分論を展開している。以下、主として坂本太郎と森博達の著作を参考にまとめる。・・・
区分論において近年とりわけ注目されたのは森博達による分析である。森は歌謡などを表記する万葉仮名に用いられている漢字音の音韻の分析によって『日本書紀』を2つのグループ(α群とβ群)に大別することができることを論証した(30巻には歌謡がなく、区分していない)。森の学説は近年の区分論における大きな進展であり、区分論に触れる際にはそれをどのように評価する場合でも大抵の場合言及される[72]。
森による分析でα群に使用されている万葉仮名の漢字音は唐代北方音(漢音)に依拠しており、β群のそれは倭音・複数の字音体系が混在していることが明らかになっている。そして森はさらにそれを発展させ、β群に和習が集中すること、漢文の初歩的な文法・語彙の誤りが頻出することなどから、β群は非中国語話者が主筆担当したと推定している[73]。逆にα群では漢文の誤りが少ない事、和歌の採録時日本語の清音と濁音を区別できていないこと[74]、日本の習俗に精通していないことがわかることなどから、中国系の渡来1世が主たる述作にあたったと結論している[74]。さらにα群・β群内の混在(α群の中に和習の強い文章が混入している)や、特定の表現が頻出する筆癖などから、本文完成後の加筆や潤色等の編纂過程の手掛かりが得られるとしている[75]。
α群とβ群ですが、 ウィキペディアの表では 森の区分で
- 1-13巻がβ群
- 14-21巻がα群
- 22-23巻がβ群
- 24-27巻がα群
- 28-29巻がβ群
となってます。巻だけではわかりにくいですが、
- 卷第三には神武東征があります。
- 卷第二十二は聖徳太子の時代です。
- 卷第二十四は皇極天皇の時代で乙巳の変があります。
乙巳の変はα群になります。神武東征や聖徳太子の話はβ群にあり、書紀編纂の初期の状態を残していると考えられます(漢文に厳密ではない部分)。巻第二十四はα群にあたり、この部分が藤原仲麻呂の書き換えた部分と考えられます(漢文の知識があり、和習をきらった?)。長屋王の変の正当性を主張するために書き換えた部分と考えます。確定ではありませんが、可能性は充分あります。
聖徳太子の部分は、β群で古い部分と考えています。藤原仲麻呂は書き換えにくかったところと思います。
神武東征はβ群ですが、古い部分と考えています。大伴旅人が関与したということは、以下のようなところにあります。
大伴旅人と神武東征の話
鹿児島の古代から神武東征の話
あと、ウィキペディアのα群の説明で
日本の習俗に精通していないことがわかることなど・・・
とありますが、藤原仲麻呂が意図的に日本の習俗を無視してるのではと思えます。
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