『古代の蝦夷と城柵』熊谷 公男、吉川弘文館 (2004/7/1) の8頁に『日本書紀』敏達紀十年閏二月条のことが書いています。 蝦夷の族長である綾糟《あやかす》が来朝して服属を誓います。
この綾糟らの制約の場面は、蝦夷の服属儀礼の様子を伝えた唯一の史料で、きわめて興味深い。綾糟らは敏達天皇の前で 泊瀬川の流れに入り、「三諸岳」すなわち三輪山に向かって水をすすって服属の誓いをたてる。誓詞《せいし》の前段で子々孫々にわたって忠実に天皇に仕えることを誓い、後段には誓約に違反したら天地諸神と天皇霊の罰がくだるであろうという呪詛文言が付される。この構成は、おもしろいことに中世の起請文と同じである。・・・
この記事は、祭祀儀礼は、神道系の出雲のものに感じられます。三輪山というのは出雲との深い関係にあります。この話は、日本書紀編纂者の作り話に思えますが、まったくのデタラメではなく、書紀編纂時の意識があったはずです。蝦夷の話題を持ってくるのに、出雲の祭祀儀礼を適用したということです。この時代、蝦夷と出雲のつながりが常識的なものになっていたことが考えられます。大和政権の蝦夷との交渉で出雲の関与を感じます。
同書の199頁に蝦夷の諸国移配で、延暦十七年(七九八)に出雲等の国に、帰降の夷俘《いふ》に対する時服・禄物の支給などあると書いてます。
これはもう少しあとの時代かもしれませんが。以前に方言で、四つ仮名で、東北弁と出雲弁の記事を書いてました。忘れていました。関係がありそうです。
松本清張作品の『砂の器』に出雲弁が出てくるようです。蝦夷と出雲を結びつけて読んでいる人はあまりいないと思いますが、いろんなところにヒントがあるものだと感動的です。
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