2022年3月20日日曜日

邪馬台国が福岡県にあった確率99.998%以上

 『データサイエンスが解く邪馬台国 北部九州説はゆるがない』安本 美典、朝日新聞出版 (2021/10/13)を図書館から借りてきました。 ぱらぱらと見ましたが、116頁の表8で「鏡」「鉄鏃」「絹」「勾玉」の4項目についてのデータに、ベイズの統計学を適用した結果があります。

邪馬台国が、福岡県にあった確率99.8%
邪馬台国が、佐賀県にあった確率 0.2%
邪馬台国が、奈良県にあった確率 0.0%

とあり、邪馬台国は、佐賀県か熊本県あたりにあったのか思っていたので、ショックです。奈良県は0.0%でかまいませんが、本当に佐賀県の確率がこんなに低いのか、何とかならないものかと思いました。 この本では鏡についての県別の図があります。時代によって分布パターンが違います。トータルでは福岡県が多いですが、次点ぐらいで佐賀県も出てきます。邪馬台国の存在した時にはそこそこの件数です。邪馬台国が長期でなく短期的な存在としたらありえそうに思えます。何を言ってるかということですが、著者の「邪馬台国の会のホームページ」がありました。そこにある図をリンクを示します。時代を選べば、佐賀県の0.2%はより大きくなりそうです。
図の部分、図1図2図3図4

イメージですが、アメリカが滅亡したとして、その後の遺跡を調べたとしたら、ワシントンよりニューヨークの方が多量に遺物が発掘される可能性があります。その結果からアメリカの首都はニューヨークだとなる可能性はあると思います。邪馬台国の首都は政治的中心(宗教的中心か)であって、経済的中心ではなかったとか考えられないかといいうことにしたいと思います。

「鏡の分布中心地域の、大激変が存在するという法則」というのがこの本のコラムにあります。図のリンクですが、説明とかあります。

 1.鏡の歴史にみられる二大激変

以下安本氏のホームページのコピペです。

■青銅鏡の歴史の「第1次大激変」と「第Ⅱ次大激変」(鏡の分布中心地域の、大激変が存在するという法則)
私はこれまで、日本古代史上のデータについて、成立するいくつかの重要と思われる。「法則」を見出してきた。 そのうち、まず次の「法則」をとりあげる。


・鏡の分布中心地域の大激変の法則
青銅鏡の歴史において、西暦320~350年ごろに、鏡の分布中心地域が、福岡県など北部九州を中心とする地域から、奈良県など畿内を中心とする地域へと、大変化をするという事実が認められるという「法則」である。以下、略して、「鏡の分布中心地域の大激変が存在するという法則」と呼ぶ。
じつは、わが国の青銅鏡の歴史においては、「鏡の分布中心地域の大激変」が起きるよりも、時期的にまえに、わが国で出土する鏡に用いられている銅原料が、「中国の華北系の銅原料から、中国の華中・華南系(長江流域系)のものに変化するという「大激変」が起きている(鉛の同位体比の分析の結果による)。私は、この大激変を、「第1次大激変」とよび、「鏡の分布中心地域の大激変」を、「第Ⅱ次大激変」と呼んでいる。
「第Ⅰ次大激変」は、西暦280年に、中国で呉の国が滅亡し、長江(揚子江)流域産出の銅が、華北の洛陽などに流れこんだことによって生じた現象とみられる。


この「第Ⅰ次大激変」については、鉛同位体の説明が必要なので、別の定例会で説明をする予定。
・「第Ⅱ次大激変の法則」
「第Ⅱ次大激変の法則」は、データサイエンス的探究方法の、比較的わかりやすい具体例にもなりうると思う。
ーーーー途中省略ーーーー
「位至三公鏡」によって代表される、「いわゆる西晋鏡」以前の鏡は、九州の福岡県を中心に分布する。それよりあとの鏡、「画文帯神獣鏡」「三角縁神獣鏡」などは、奈良県を中心に分布する。
この大激変が起きたのは、大略、西暦320年~350年ごろとみられる。 この「第Ⅱ次大激変」が起きたのは、大和朝廷の成立と発展が関係しているとみられる。このようなことについては、あとで議論する。
以下、時代を追って、わが国の青銅鏡の出土数の地域的分布の情況をみて、「第Ⅱ次大激変」の起きている様子をみてみよう。
まず、以下のワクでかこんだ文章内のグラフをざっと、目で追ってみていただきたい。「大激変」の存在は、一目瞭然であると思う。

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