2020年3月23日月曜日

若宮八幡宮 (京都市山科区) のご祭神

 若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)という名前の神社は日本全国にあり、若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ)や若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)、若宮八幡宮社(わかみやはちまんぐうしゃ)と称する神社もある。 社名の通り「八幡宮の若宮」という意味で、多くは宇佐神宮・石清水八幡宮・鶴岡八幡宮などにある若宮を勧請し、八幡神・応神天皇の御子神である仁徳天皇(大鷦鷯尊)を祀るものである。他に、「八幡宮本宮から迎えた新宮」の意味の「若宮」もあり、この場合は応神天皇が祀られている。
 こちらの若宮八幡宮(わかみや-はんちまんぐう)は、音羽森廻り町(おとわ-もりまわりちょう)にある)。祭神は 第16代・仁徳天皇(にんとく-てんのう)、第15代・応神天皇(おうじん てんのう)、神功皇后(じんぐう-こうごう)、須佐之男命(すさのおのみこと)、第40代・天武天皇(てんむ-てんのう)の5神を祀る。
追加して須佐之男命と天武天皇が祀られている。須佐之男命=天武天皇と考えるものにとっては一つの証拠のように思える。境内には宝篋印塔(供養塔)2基が立てられている。右は大津皇子、左は粟津王の墓とされる。写真参照



これらは、後世の鎌倉時代後期(室町時代初期とも)のものという。この宝篋印塔は、粟津家末裔により立てられたという。上図左の粟津王はよく見ると、右の宝篋印塔と比べて基礎の部分にほかの宝篋印塔のパーツを持ってきていてさかさまに据えられ間に合わせ感が強い。粟津王のために制作されたものとはいいがたい。粟津王が大津皇子の子であることも不明であって(コロナウイルスのため図書館で調べ物ができないので確認できない)、もやもやは強い。もちろん宝篋印塔が天武天皇の時代にはなく後世のものであるので、信用度は低いとは思われる。あえて考えれば、出雲神社の須佐之男命が合祀され、そこに出雲に関係した天武天皇の子孫を意識した粟津氏がやってきて若宮八幡宮が生まれたと考えられなくはない。天武天皇と出雲のつながりがあってこの神社の祭神が構成されたかもしれない。神社には粟津姓の提灯があり、まったくのでたらめの話ではないようにも思われる。須佐之男命=天武天皇を示すものはほかにもあるかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿