2020年3月18日水曜日

大化改新の「畿内」

 日本書紀では、大化改新は新生日本をイメージするものとしたいと思っています。
日本のもととなった原始日本の地域であると日本書紀が意識しているとすると(倭国ではない)、
「およそ畿内とは、東は名墾(名張)の横河より以来(こちら側)、南は紀伊の兄山より以来、西は赤石(明石)の櫛淵より以来、北は近江の狭狭波(さざなみ)の合坂山(逢坂山)より以来を、畿内国とす」
と記述しています。つまり、近江や吉備などは含まれていません。その後の時代に他の地域を含めていって、日本が成立したことを暗に示しているように思えてきました。白村江の敗戦のあと(その前の隋の高句麗遠征とかを見ていたかもしれませんが)、小国家の分立ではだめだということで、畿外の国を含めて統一され、実際には文武朝の時代にようやく日本が成立した。しかし理想とする大化改新が、現実に引きずられてしまって畿内が作られた可能性があります。畿外は
どうなのかということになりますが、大化改新で律令制度が完備されたことを示したいので、統一の物語は神話の部分に移されてしまったのではということになります。

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