2019年8月17日土曜日

雄略天皇と葛城の一言主

 古事記と日本書紀の両方に記述されています。雄略天皇紀の内容では別物のような気もしますが、葛城の一言主についてはどちらにもあります。
 日本書紀では葛城山で葛城の一言主神と出会い、一緒に狩りを楽しみ、終りには天皇を見送ったということです。
 古事記では雄略天皇が葛城山で、天皇の行列にそっくりの集団を見た。天皇は怒って矢をつがえると相手も同じく矢をつがえ、一触即発の状態になった。天皇は、「名を名乗れ」というと、相手は「悪いことでも良いことでも一言で言い放つ神、葛城之一言主之大神である」と言った。天皇は神であることは知らなかったと言い、刀や弓矢、来ていた衣服を拝礼して献上した。神は喜んで、天皇が帰るときには見送りしたとなっていて、古事記の方が詳しいです。
 何を意味した話だろうかということですが、ヤマトと出雲の連合政権が天武天皇の時に成立したものの、後の文武天皇の時代には、葛城地方を地盤とする役小角が伊豆に配流されており(続日本紀の文武天皇三年)、大宝律令の施行を巡って、対立があったことを示しているのではと思います。雄略天皇(文武天皇)と役小角(葛城の一言主)の状況がイメージ化されています。この二ヶ月くらいの間にどうも頭が飛んでいて、説得力がないですが。
参考:スサノオは天武天皇か?
   (現在は、そう考えています。)

古事記は新編日本古典文学全集1、小学館より、
日本書紀は講談社学術文庫、日本書紀(上)前代誤訳

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