2019年8月18日日曜日

紀氏

 手っ取り早く紀国のことを知りたいと思い、
姓氏家系歴史伝説大事典、志村有弘編、勉誠出版を見ました。
 紀(き)の項を見ると
【発祥・系譜・分布】主に紀伊・出雲・大和に分布。また記・城・木などに通じ、のちに城井・基肆・紀伊とも書き、さらにノの字もつけて紀野ともなった。紀伊の紀は天道根命の子孫で、紀国造。紀伊国名草郡(和歌山県)が発祥の地。以下略。
【歴史・伝説・人物】紀氏は昔からの大姓にて、その分派の多いこと源平藤に継ぎ、橘と拮抗する。紀伊の紀は、紀ノ川下流には、代々日前国懸神宮の神官を世襲した紀国造がおり、『国造本紀』によると、高皇産霊尊の五世孫の天道根命が神武天皇から国造に任命されたのが始まりという。以下略
 この内容から思うことは、ヤマトとイズモが結びつくためには離れすぎていますが、紀国が接着剤的な役割を果たしたことで説明がつくということです。倭国(キビ・アワ)に対抗してイズモとヤマトが連携するためには倭国の支配する瀬戸内海を通ることが困難であるということです。紀国が木材の産地で大型船の建造に適していたことから、四国の南端を通り、迂回するルートでイズモに向かったと考えられます。紀氏の分布が紀伊・出雲・大和に分布していること。ヤマト勢力の中で国造など初期段階から紀国が取り込まれていたことなど納得できるものです。和歌山県の保田(安田から変化)、高知県の安田を通り、素戔嗚尊の通ったルートでヤマトとイズモが連携したことが考えられます。これらの話はすべて七世紀のことでつじつまが合ってきます。ヤマトの初期段階(天武天皇というか大海人皇子の時代)では、各地域に街道の整備するなどはまだまだで、海上ルートが重要であり、紀氏の貢献が大きかったということです。

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