2019年8月14日水曜日

一遍上人と聖徳太子

 一遍聖絵によれば、一遍上人は延応元年(一二三九)に伊予の河野通広の子としてまれた。踊り念仏が有名で、絵巻でも良く描かれている。京都四条京極釈迦堂の踊屋や市屋道場の図では中央に舞台状の建物があり、周りに桟敷があって、何かしらロックとかのライブコンサートのような雰囲気である。また別の図では一遍上人がお札を配っている風景が良く出てくる。
 一遍上人の移動のルートは、厳島神社から伊予に渡ったりしているのでかなり自在に動いていたようであるが、文永八年の善光寺と文永一一年の四天王寺が大きく取りあげられているという。また弘安九年にも四天王寺を訪れ、聖徳太子の追慕の旅に出るとのことである。参考本*には、ハーバード大学にある聖徳太子二歳像の話がある。像内納入品より、正応五年〔一二九二〕頃に製作されたと見られ、叡尊(「西大寺古長老」)関連の物があるなかで、最古級の一遍の念仏札があるとのこと。すでに聖徳太子の伝説が確立していたか、この鎌倉時代にさらに強化されたということのように思われる。聖徳太子信仰の広まりと鎌倉仏教のつながりがあったということかもしれない。
 *一遍聖絵の全貌、監修:遊行寺宝物館、五味文彦編、高志書院発行

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