弘安四年(一二八二)三月二日、執権北条時宗から鎌倉入りをはばまれた一遍は、片瀬の館の御堂に参着した。その時の画面離れた所に、非人・乞食の小屋が建ち並んでいる。掘立小屋の一つには倒れた人の上を烏が鳴き騒いでいて、その横に烏を追い払おうとしている人たちが描写されている。この時代の人のイメージであろうと思うが、これが飛鳥の地名につながるのではと感じました。烏は人を狙っているのではなく、乾し飯のようなものを食べようとしているようで、違うとは思います。
参考にネットからの図を示します。
モノクロで見にくいとは思います。
実際には、次の本を見ました。
日本絵巻大成別巻
一遍上人絵伝、一六三頁
小松茂美編、中央公論社
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