和歌山県の古代寺院で、塼仏(土を型取り整形し焼成して作った仏像)が出土したところがあるようです。最上廃寺跡(もがみはいじあと)で、紀の川南岸に展開された飛鳥時代の寺院跡。和歌山県下の古代寺院のなかで、西国分廃寺・北山廃寺とともに紀伊国で最も古い寺院に位置づけられる。・・・出土品としてはほかに飛鳥山田寺と同笵とみられる六尊連立塼仏(型に粘土をはめて作った素焼きの仏像)がある。出土遺物から7世紀後半から8世紀初頭に建立された寺と考えられる。
とWikipediaにあります。
その山田寺(やまだでら)ですが、同じくWikipediaで
金堂跡と塔跡の周辺からはが多数出土しており、これらは堂塔の壁面を装飾していたものと思われる。
とあります。
夏見廃寺では障屛のように塼仏が貼り付けられたまま倒れているのが発見され山田寺との関連について(昭和五六年の山田寺展図録)書かれています。
また、奈良県御所市の二光寺廃寺の大型多尊塼仏が、同じ型で製造された名張市の夏見廃寺の出土品との比較検討でほぼ全形が判明。右下には「甲午年五月中」(694年)と銘があり、夏見廃寺と山田寺との関係など、この時代だけのものかもしれない塼仏を見ていけば、紀国から伊勢までつながるルートがあったことが考えられます。
とはいうものの、昭和五六年の山田寺展図録には、日本の塼仏は、中国の塼仏の影響により生まれ、ほぼ天智朝頃から流行し、白鳳時代に最も盛んに作られた。現在、奈良県を中心とする地域だけでなく、北は宮城県から西は大分県まで五十数カ所の寺院跡から塼仏が出土している。一つの笵型から短い時間で多数の塼仏が得られるという利点から、急激に普及していったものと思われる。日本の塼仏の出現は、川原寺と橘寺出土の方形三尊塼仏や火頭形塼仏である。・・・初唐様式の影響を受けたものと考えられる。というようなことが書かれています。
紀国から伊勢のルートはどうかなという感じにはなりますが、発見具合も違うかもしれないので、もう少し考えたいと思います。多分忘れてしまうのでメモ書きにします。
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